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パスカルの賭けと天国サロン説

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先に悪霊が人を狙う理由について述べたが、この輪廻転生と魂の話は、昔に創作のために色々考えたもので、まだ先がある。
今回は天国を題材にしよう。

目次

パスカルの賭け

「パスカルの賭け」というロジックがある。これは、「天国には無限の喜びがあるので、実在に賭けても期待値上は充分元が取れる(ので、そこに至ろうとする信仰には意味がある)」というものである。
提唱した当時から直ちに批判されたものだが、この理論は割合にオカルトで悪い商売をする時に使えてしまうので気を付けた方が良い。

すなわち、行き先を地獄に変えてしまえば、「地獄には無限の苦しみがあるのだから、実在した時の期待値も果てしなく大きい」だ。地獄の苦しみは期待値上絶対に存在するので、それを減らす為にあらゆる努力をせよ、特に寄進をせよ、となる。
当然だがこの論理は破綻している。仮に天国や地獄が存在していたとしても、現世の行動が行き先決定に影響を及ぼすという事自体、1つの可能性に過ぎないからだ。

そもそも天国や地獄を実在するものと考えた時、無限の要素を加えるのは無理がある。
現象としての創造主はともかくとして、人格ある神に無限を操る能力はない。
ここで、中国の三大奇書『封神演義』を思い出して貰いたい。
ざっくりしたイメージで構わない。
あの物語の発端は、「ヤバい仙人が増えたから、封神台というシステムに幽閉して神にランクを落とそうぜ」というものである。

仙人こそが永遠の存在?

さてさて。
この世界観において、神は力があるが中途半端なものだ。仙人こそが、不死で永遠の存在だ。語句の選択が気に入らないとしてもとりあえず、そう呼び分ける。

仙人は、天地創造の神ではないが、永遠性を手に入れた人間である。
不死とは永遠に自分が変わらない事である。
その意味で、自我が変わってしまう輪廻転生は違う。
つまり、人間由来の「仙人」こそが、輪廻転生から抜け出る事が出来た者である、という事だ。

その本質は、自分の魂を第三者視点で作り直せるもの、阿頼耶識とでも表現されるものの有無だ。
この時、彼らは死までは克服できるが、力が無限になる訳ではない。当たり前だ、そこに関連はない。魂とそれに付随する肉体を自在に加工するパワーがあるから、長時間をかけたり高い知能に作り替えたりで結果的に他の力が付くだけだ。

各宗教の人由来の神をそのような「仙人」であると定義した場合、天国は分かりやすい。すなわち、各々の価値観に合う魂を招待するサロンのようなものだ。招待したゲストが永遠に耐えきれず魂が壊れても、治してやれば良い。要件に合わない魂は、輪廻転生させるだけだ。

天国サロンのイメージ
天国サロンのイメージ

ならば地獄は?

ならば地獄は一体何になるのか?
わざわざ作るまでもない。輪廻転生が前提であれば、現世に人間の価値観からして地獄のような一生を歩む生物はいくらでもいる。
こうして、各々の「神様」が天国を管理しながら、他の神様とはそこそこ距離を取り、無限ぽい時をのんびり暮らしている。

彼らが人間に干渉しないのは当たり前だ。
それを始めればすぐに他の神様が同じことを別の価値観で始め、神様同士の対立になる。
死なない者同士の戦争は、千日手になるだけだ。封神演義では、一時的に魂を破壊した隙に封神台に封じたが、同じことをまたし始めたらそれこそ泥仕合になる。まして、地上に影響を及ぼして人類を滅亡でもさせたら、一握りの神様しかいない世界で永遠を過ごす羽目になる。

想像の範疇に天国も地獄もある。
そう考えれば、天国を徒に目指すのも、地獄を殊更に恐れる事もないだろう。
くれぐれも、地獄詐欺を持ちかけるインチキオカルティストにご用心。
神様は直接助けてはくれない。

ごはんにはビタバァレーを混ぜていたら、入れないと物足りなくなりました。

※画像はイメージです。

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