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親父の戦争体験

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ずいぶん昔、おやじから聞いた話です。

その時代良い若者は、戦争に行くのが正しいと思っていて志願し、兵隊になる為に健康診断を受けたそうです。
検査の中で〇ん〇んを掴むと言う検査があって、痛くてたまらなかったそうですが、この検査は性病にかかっていないかの検査だったとのこと。 〇ん〇んを掴んだだけで解るものなのでしょうか?

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甲種合格

見事甲種合格で船に乗り、いざ太平洋へ出陣です。
ゼロ戦の整備士としてフィリピンに行ったとのことで、一機が飛び立ち、また一機が飛び立ちと忙しい日々を過ごしていました。何かに失敗した時などは上官にに叱られるのですが、全体責任と成り「お尻を出せ!」でお尻を向け出しますと、バットで全員のお尻を次から次と殴って行くのです。酷い時は、血の混じったおしっこが出たとか。

ゼロ戦が帰還してくると、何時も一機だけが油まみれで帰って来きます。
このゼロ戦の整備は余計な時間がかかるので、皆が「もう帰って来るな。」と思っていたそうですが、ついに待てど暮らせどかえって来なくなり、余計なことを考えなければよかったと思ったと。

或る時、肺に水が溜まり上官に「○○は長男なので帰国せよ。」と言われたそうです。
生真面目なおやじの意に反し帰国する羽目になったのですが、その後の事すぐ、フィリピンは悲惨な様になってしまったのでした。

京都と原爆

私の家は京都市です。
7月25日に京都市に原爆を落と計画があったのですが、その12日後に広島に原爆が落とされました。

京都に原爆を落とすと後の占領が上手くいかないとのことで、原爆が落とされようとしたのが梅小路車庫近辺。
今も梅小路車庫が有りますし京都水族館がある場所で、おやじが住んでいた家から約1kmの所です。
おやじが肺に水が溜まっていなければ、原爆が落とされていたなら、私は生まれて来なかったのです。

そんな親父も

おやじはお盆の過ぎた時に無く成りました。
おやじなどのご先祖様のお陰で、私達はのんきな生活か背出来ています。
有難く、以後のんきに生きていきたいと思います。

※画像はイメージです。

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