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無謀な太平洋戦争への道は、日露戦争から始まっていた?!

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あの無謀な太平洋戦争を日本は何故始めてしまったのか? 今なお、その原因について様々な意見がある様です。
その遠因は、日露戦争勝利にある、と言ったら・・。

目次

日露戦争の戦後分析について

極東の弱小国・日本が、英国でさえ手を焼いていたロシアとの戦争に勝った事に、世界は一様に驚きました。
当の日本国民が歓喜に湧き返ったのは無理もありません。しかしその勝利はほとんど奇跡といって良い僥倖でしかありませんでした。

勝利の原因は黄海及び日本海海戦での帝国海軍の完勝ですが、旅順を始めとする陸軍の陸戦に関しては、控えめに言って辛勝、ほとんど引き分けなのが実情です。にも拘らず陸軍部内で戦後にその戦況の実効ある分析が為された様子がありません。
現在に残るのは、詳細ではあるが単なる事実と数字の羅列でしかない軍作成の資料のみで、それを公式に分析し評価・反省を加えて以後の軍運営に役立てた形跡がありません。

物事に対する冷静で客観的な見方がなく、ただ勝利というだけの表面の現象に感情的に流されるままで放置された日露戦争は、根拠のない神国論や精神論の台頭の始まりとなったのです。

防衛戦争から侵略戦争へ

日露戦争は、南下政策の下に満州から朝鮮半島に進出を計ったロシアの侵略に対抗する為の、日本にとっては防衛的な戦争です。
そしてその勝利により、満州鉄道の獲得や朝鮮半島の権益を得た日本は、その流れにそのまま乗って、他国への進出による利益獲得という、侵略主義・帝国主義の道に入って行きます。

明治維新は、欧米列強の侵略から日本を守るべく始まった国内改革で、その後日本は富国強兵政策で列強からの圧迫に対抗して国力を増強して来ました。
大国ロシアに勝って待望の列強国一員となった日本は、欧米列強の侵略主義も模倣します。その対象は中国でした。

大国とはいえ清は老境に入って弱体化が著しく、維新を経て成長期に入っている日本とは国の威勢としては真逆の状態です。
既に日清戦争で勝利している日本は、中国を蹂躙しようとする欧米列強に割り込む様に中国進出を行い、結果日中戦争が勃発します。
この日中戦争は明らかな侵略戦争で、そのあまりの強引さに脅威を感じる欧米とも摩擦が生じ、太平洋戦争へと繋がっていきます。

敵を知る事を疎かにする増長慢

日露戦争大勝利に酔うばかりの日本軍部は手前味噌な理屈や根性論・精神論に侵され、実情を色眼鏡なく把握し、冷静で科学的な分析する姿勢を失っていきます。
日米海戦が近くなると日曜日毎に休む堕落した米人とか、女とくっついて踊る軟弱な米兵士などの話が兵士間で信じられ、軍の大臣、次官に次ぐ地位の軍務局長でさえ、米高級将校の戦略戦術の知識は非常に幼稚である、と国会で答弁している体たらくでした。

一事が万事この様にして、満足な諜報活動もせず、都合良く解釈した敵の戦力を基に立てられた戦略戦術で戦争は推し進められます。
太平洋戦争に関しても推して知るべしです。
この異常な思考の始まりは、日露戦争大勝利なのです。

※写真はイメージです。

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