シリーズ真珠湾奇襲作戦「再攻撃をしなかった本当の理由とは?」

歴史にまつわる話

真珠湾奇襲攻撃の第一回攻撃が大成功に終わった後、第一航空艦隊司令長官・南雲忠一中将が再攻撃をせずに撤収したのは、航空戦について素人同然だったからと評されています・・・果たしてそれは真実だったのでしょうか?

南雲忠一中将

真珠湾奇襲作戦の実行部隊総司令官に任じられた南雲忠一中将は艦船による水雷攻撃を専門とし、また軍縮条約に反対する艦隊派の論客として知られた人物です。

従って確かに航空戦に関しては決して詳しい訳ではなく、この作戦そのものに懐疑的だったのは事実です。

そんなところから、参謀・源田実中佐が再攻撃を進言したにもかかわらず、空母を失うのを恐れて機動部隊を反転撤収させたと言われています。

源田実中佐の言

しかし源田実は彼の著書の中で、再攻撃を自分が南雲司令長官に迫ったというのは、全くのウソであると明言しています。再攻撃をしなかったのは適切な判断だったとも源田は言います。

その第一の理由は、再攻撃の場合、攻撃隊の帰艦収容が夜間になる事でした。

二派に分かれて出撃した第一回攻撃隊の二派目が帰艦し終わったのが日没3時間前。
収容航空機は直ぐに対艦攻撃装備が為されて、未発見の敵空母の攻撃に備えていた為、これを残存の石油タンクや工廠などに対する陸上攻撃の兵装に転換していると出撃は深夜になるのです。

U.S. Navy [Public domain], via Wikimedia Commons

そして当時の天候は荒れており、風速13~15m、うねり大で母艦のローリング最大15度という、平時の演習なら即中止という相当悪い状況でした。

源田自身が、夜間攻撃及び収容における危険と再攻撃による陸上設備破壊の戦果と比べた時、押して出撃命令を出すに忍びなかったと述懐しています。

山本連合艦隊司令長官の判断

瀬戸内海・柱島に停泊する連合艦隊旗艦・長門で、山本司令長官は今作戦の成功を聞きました。

幕僚たちは再攻撃を山本に具申しましたが、「味方の被害程度や現地状況も詳しく分らんのだから、ここは第一線の部隊指揮官の判断に任せよう。やれるものなら、言わなくてもやるさ」と山本は再攻撃の命令を出させませんでした。この様に山本長官も南雲の判断を追認していたのです。

撮影: 海軍省Ministry of the Navy [Public domain], via Wikimedia Commons

再攻撃はやってやれない事はなかったのでしょう。

そして戦果は確かにさらに拡大したに事でしょうが、強襲による被害と収容時の損害がかなりのものになったであろう事も間違いありません。


歴史大好き爺さん

歴史上の出来事はそれが大事件であるほどに、より劇的な印象を与える為に、後にまことしやかな尾ひれがついて、さも事実の様に後世に伝わります。

※写真はイメージです。