帝国海軍の敗因の一つに大艦巨砲主義から航空兵力中心主義への転換において、米海軍に後れを取ったというものがあります。
果たしてそれは事実なのでしょうか?
米海軍の大艦巨砲主義
真珠湾攻撃やマレー沖海戦で、戦艦など水上戦力に対する航空兵力の有効性が分かり、 米海軍はいち早く、空母を主体にした動部隊中心の編成に切り替えたというのが定説になっています。
しかし開戦直後、太平洋艦隊司令長官に就任したニミッツ提督が、戦艦で日本艦隊と戦うつもりだと話し、「それが海軍というものだ」と言明しました。彼が大艦巨砲主義者だったのは周知の事実です。
真珠湾攻撃後、米太平洋艦隊司令部は、戦艦群の損失により戦略的守勢をとらざるを得ないと考え、 「航空母艦、巡洋艦、駆逐艦より成る甚だ強力な攻撃機動部隊が生き残っている」と言っています。
つまり主要軍艦群を失った米海軍は、空母機動部隊を編成せざるを得なかったのです。
日米海軍・水上戦力比較(開戦時)
日米戦開戦時には米国はすでにヨーロッパ戦線に参戦していたので、大西洋艦隊は日米戦に回せません。
即ち太平洋での水上戦力は日本が米国を上回り、 戦艦大和・武蔵、零戦や酸素魚雷などの兵器性能の優秀性を加味すると日本が米国を圧倒しています。
日本連合艦隊 | 米太平洋艦隊 | 米大西洋艦隊 | |
戦艦 | 10 | 9 | 8 |
空母 | 9 | 3 | 4 |
重巡 | 18 | 12 | 5 |
軽巡 | 18 | 9 | 8 |
駆逐艦 | 93 | 54 | 147 |
潜水艦 | 57 | 25 | 60 |
計 | 205 | 112 | 232 |
対米基本作戦及び戦法
太平洋・大西洋両艦隊を合わせた米国艦隊の総戦力は、日本のそれの約1.7倍です。
日本海軍の対米基本作戦は邀撃漸減作戦でした。邀撃とは、優勢な米海軍を待ち伏せして迎え撃つことです。
第一段階では潜水艦で、第二段階では航空機で、それぞれ待ち伏せ攻撃して敵戦力を漸次削ぎ落していきます。
そして最終第三回で、戦艦を中核とする水上艦隊による決戦対決で雌雄を決します。
この基本作戦に基づいて考え出された戦法が、敵の攻撃能力範囲外からの攻撃するというアウトレンジ戦法です。
世界最大の46サンチ艦砲、類のない航続距離を誇る零戦や酸素魚雷は、この戦法のため開発され実戦配備されていました。
真珠湾作戦なかりせば
真珠湾奇襲作戦ではなく、もし帝国海軍が基本戦術通りに戦っていたとしたら、どうなっていたのでしょうか。
単純に先述の戦力戦法を考え合わせる時、かなり有利な戦いが展開された可能性を見出せます。
それ以上に、真珠湾攻撃を騙し討ちとし”Remenbar Pearl Harbor”の下に一丸となった、米国民の激しい対日戦意はなかった筈で、大和・武蔵の巨砲が米海軍水上戦力を葬り去っていたら、太平洋戦争の経過は随分変わったでしょう。
とはいうものの、戦艦群を失った米海軍を相手のミッドウェイ海戦敗北を思うと、最終の結果は変わらないのでしょう。
「歴史にifはない」と謂われますが、史実が持つ意味には様々な捉え方があります。
参照
駆逐艦・雪風 二宮隆雄 著
太平洋戦史ブログ「もし真珠湾攻撃が行われなかったら」
イデオロギーとしての「大艦巨砲主義批判」 森 正雄
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