黒船で来航したペリーの真の目的は、日本の植民地化でした。
自由貿易帝国主義
スペイン、ポルトガルの大航海時代に始まり、英国、オランダなど後発の欧米列強国による植民地獲得競争は、武力侵攻による領土獲得がその主な手段でした。
この手法によりアフリカやアメリカの大陸、インドからアジア諸国のほどんとが植民地化された後は、残る東アジアの中国や日本に対しては、単なる領土支配ではなく、列強国にばかり有利な不平等条約締結により、貿易で利益を吸い上げる方法がとられました。
例えば英国はアヘン戦争の勝利により、五つの港の開港、関税自主権や英国人への裁判権放棄を清朝に認めさせました。
領土的賠償は香港の割譲だけで、自国に絶対有利な、名ばかりの自由貿易確保が英国の主目的でした。
この条約により、安価な綿製品など英国製品が大量に流れ込み、中国国内産業が競争に負けて衰退する一方、貿易の支払いに莫大な銀が流出して中国経済は疲弊し、結果的に中国は半ば植民地化されてしまいました。
これが自由貿易帝国主義です。
ペリー来航
米国艦隊を率いてペリーが来航した目的は、捕鯨船の基地としての寄港地確保だったと謂われていますが、その実は自由貿易のための開国でした。
その後、幕府が米国と結んだ条約は、明治新政府がその改正に半世紀を要した不平等条約でした。
清国の先例を見ても明らかなように、米国の本当の目的は、自由貿易帝国主による日本の植民地化だったのです。
戦艦ミズーリに掲揚された31星の星条旗
1945年9月2日、米戦艦ミズーリで日本の降伏文書調印式が行われました。
甲板上の式場には、2枚の米国国旗である星条旗が掲げられていました。
1枚は真珠湾攻撃があった日、ホワイトハウスで揚げられていた48星星条旗。
もう1枚は、ペリー艦隊旗艦に掲揚されていた31星星条旗です。
31星星条旗は、マッカーサーの強い要請により、アナポリス海軍士官学校博物館から運ばれてきたものでした。
そしてミズーリの停泊位置は、ペリー艦隊が停泊していた場所そのものでした。
つまりマッカーサーは、ペリーが為した偉業と同等の、即ち第二の日本開国成功をアピールしたかったのだと謂われています。
マッカーサーの真意
しかしそれはマッカーサーの真意だったのでしょうか。
以後6年8ヶ月の間、日本は米国に完全に占領支配されることになりました。
ペリーは開国には成功したものの、日本の植民地化という目的は達せられませんでした。
それから90余年、マッカーサーが遂にそれを果たしたのです。
名誉心の横溢するこの将軍の本心が透けて見えようというものです。
参照:なぜアメリカは対日戦争をしかけたのか 加藤英明 ヘンリー・S・ストークス 共著
※画像はイメージです。
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