旧満州・朝鮮在住の日本人をソ連に提供する案の旧陸軍公文書が現存しています。
関東軍方面停戦状況に関する実視報告
1945年8月26日付。大本営 朝枝繁春参謀記名。
報告の一部。
「既定方針通リ大陸方面ニ於イテハ在留邦人及武装解除後ノ軍人ハ
ソ聯ノ庇護ノ下ニ満鮮ニ土着セシメテ生活ヲ営ム如ク
ソ聯側ニ依頼スル」
「満鮮ニ土着スル者ハ日本国籍ヲ離ルルモ支障ナキモノトス」
ワシレフスキー元帥に対する報告
1945年8月29日付。関東軍 瀬島龍三参謀参画。
報告の一部。
「元々満州に生業を有し家庭を有するもの並びに希望者は
満州にとどまって貴軍の経営に協力せしめ
其他は遂次内地に帰還せしめられ度い・・。
右帰還迄の間に於きましては
極力貴軍の経営に協力する如くお使い願いたい・・」
大本営参謀たちの不自然な動き
瀬島参謀は敗戦25日前の7月20日に、大本営から関東軍作戦部に取ってつけたように異動し、新任にも拘らず極東ソ連軍総司令官との会談時、関東軍参謀副長や作戦班長と同席しています。
またやはり7月に大本営から朝鮮派遣軍参謀に転出した種村佐孝が、敗戦前後にしばしば「打ち合わせ」と称して関東軍司令部を訪れております。
さらには大本営参謀である朝枝が関東軍に出張していることを、関東軍首脳の作戦班長が知らず、司令部でバッタリ出会った際に
「お前がどうしてここにいるのだ?」
と尋ねたといいます。
大本営が彼らの行動にどこまで関与していたのかは不明ですが、何らかの特別な意図を、その不自然な行動が匂わせています。
満鮮民主主義人民共和国
ポツダム宣言受諾の8月15日以降に、対ソ交渉においてこのような動きがあった理由は正確には分っていません。
推測として停戦のおける対ソ賠償の意味があったする意見があります。
しかし敗戦時点で日本の支配権が及んでいる満州朝鮮に多く在住する、旧日本軍の兵力や民間人をそのまま定着させるということは、米国主導の連合国占領下に置かれた本土の日本国とは決別し、ソ連傘下の新国家を創設しようという試みとも考えることができます。
当然それは共産主義国家で、満鮮民主主義人民共和国と名乗るような国家です。
その新国家によりソ連のバックアップによる対英米戦争継続を画策した、と想像することも可能です。
歴史学では歴史のifは禁物だそうですが、歴史好きにはこれほど面白いものもありません。
参照:
昭和史の七つの謎 保坂正康 著
堀江則雄のブログ シベリア抑留国家賠償裁判の意見書(下)
※画像はイメージです。
思った事を何でも!ネガティブOK!