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日本海軍の大艦隊出撃!~マリアナ沖海戦~

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1944年(昭和19年)6月
アメリカ軍は日本領であるマリアナ諸島へ侵攻を開始
日本海軍はこの侵攻に対して最大規模の空母機動部隊を出撃させます。

目次

絶対国防圏のマリアナ諸島

日本本土から2500km離れたマリアナ諸島
このマリアナ諸島が米軍に占領されれば、B-29爆撃機が日本本土を空襲する拠点になってしまう。
重要地域であるマリアナ諸島を日本軍は絶対国防圏の最前線に置き、陸海軍の戦力を送り込みます。

日本海軍は角田覚治中将指揮の第1航空艦隊を展開させますが、米軍がマリアナ諸島へ侵攻する時には戦力は消耗していて、残る戦力をビアク島攻防戦に向かわせていました。
日本海軍は艦隊によってマリアナ諸島を防衛しようとします。

第1機動艦隊

マリアナ防衛の頼みとなったのは小沢治三郎中将指揮の第1機動艦隊です。
第1機動艦隊は空母9隻(大鳳・翔鶴・瑞鶴・隼鷹・飛鷹・龍鳳・瑞鳳・千歳・千代田)戦艦5隻(大和・武蔵・長門・金剛・榛名)からなる大艦隊です。
空母に搭載している航空機は400機以上もあり、日本海軍の空母機動部隊では最大規模となった。

しかし、1942年(昭和17年)のソロモン諸島での海戦や1943年(昭和18年)の「い号作戦」と「ろ号作戦」に空母の航空隊が投入された事で度々戦力の消耗と再建が繰り返されていた。
これはパイロット達の数は揃っても、技量が上がらなくなってしまっていた。
米潜水艦が第1機動艦隊の停泊している周辺に出没した事もあり、訓練ができず第1機動艦隊のパイロット達は十分では無い技量で戦いに臨む事となった。

アウトレンジならず

1944年(昭和19年)6月15日に米軍がサイパン島とテニアン島に上陸
日本海軍連合艦隊は「あ号作戦」を発動し、第1機動艦隊をマリアナへ出撃させます。
マリアナ近海には大型空母7隻・小型空母8隻・戦艦7隻かならなるレイモンド・A・スプルーアンス大将指揮の第58任務部隊が展開しています。
多い敵に対して、小沢中将は航続距離が長い日本軍機の特性を生かしたアウトレンジ戦法で攻撃します。

6月19日に第1機動艦隊はアウトレンジ戦法で先手となる攻撃をしますが、米軍は艦艇にあるレーダーと通信を駆使して指揮する戦闘指揮所(CIC)によって、襲来する日本軍の位置を把握して戦闘機隊を向かわせました。
こうして日本軍の攻撃は成功せず、航空隊は大損害を受けてしまいます。

第1機動艦隊は潜水艦によって、空母2隻(大鳳と翔鶴)が撃沈
翌日の米機動部隊による空襲で空母「飛鷹」が撃沈されます。
航空戦力を失い空母も3隻失った第1機動艦隊は6月21日に作戦を中止し、撤収します。
こうしてマリアナ諸島への救援は阻まれてしまったのです。

featured image:海軍歴史センター, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

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