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毒を持たされた祖母

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私が子供のころに祖母から聞いた話です。
祖母は東京郊外の農家で生まれたどこにでもいる女学生だったようなのです。

戦争中は疎開もせずに実家に住んでいたようなのですが、戦争も末期になっていくと段々と周りの生活も厳しくなっていったようです。
もともと祖母の住むエリアの近くには日本軍の基地や病院などの施設が多くあったようなのです。

軍人さんも結構見かけることが多かったとのことなのですが、戦争が始まる前や始まった当初ははかっこよく見えてあこがれていた、と言っていました。
どこにでもいる農家の娘ですので、もともとそんなに裕福な暮らしではなかったのは当たり前ですが、食べるものはちゃんとあり、飢えるようなことはあまり経験せずに済んだようです。

ただ、段々と戦争が長引くにつれて学校の先生がピリピリしたり、祖母のお父さんお母さんがあまり話さなくなったりと世間が徐々に暗くなっていくことは感じ取っていたようです。
あこがれていて、顔見知りとなっていた軍人さんもいたようなのですが、いつからから顔を見かけることもなくなり、近くを歩いているのは年配の人たちが多くなっていたようです。

また、そんな軍人さんもだんだんと態度が横柄になったり冷たくなっていき、なんだが近寄りがたい雰囲気になっていったみたいです。
空襲がひどくなっていったとき、祖母の家は大きな火事などは免れましたが、毎日警報が鳴り響くことや電気がつけられずにいて、家の中が薄暗い状態が本当に嫌だったと言っていました。

先にも述べたようにいわゆる軍事施設が近くにあったため、学校にもそれまで軍人さんがちょくちょくきて、訓練などをすることがあったようなのですが、ある日、クラス全員が呼ばれてその軍人さんに説明をうけたようです。なんでも、小さい巾着のようなものを渡されて不思議に思っていたようなのですが、聞くとその中には「毒」が入っているとのことです。

何事かと思ったようなのですが、いよいよ戦局が悪くなっていき、アメリカ人が本土に攻め込んで来た時には、それを飲んで自決しろ、ということだったとのことです。
子供ながらに毒を持つようになることが本当に怖くて、ああ私たちはもう死んでしまうんだ、と一日中泣いていたようです。ただ、
女性ですから何か乱暴をされるときにもっとひどいことが起きるかもと考えると、何だか複雑になってしまいました。

結局、幸いにもその毒は使用することなく、終戦を迎えたようですが、そこまで追い込まれていたことにとてもショックをうけ、また幼い女学生にそんなことをする当時の国や、戦争のひどさを感じました。

※画像はイメージです。

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