サツマイモは今でも食べられない

この話は私の父の話です。
最後まで父にはサツマイモは出されることはありませんでした。
なぜなら、戦時中を思い出すからです。

私たち家族は茨城の干し芋をお取り寄せで頼んで食べるくらい、さつまいも大好きの一家です。
しかしながら、今は他界した父がサツマイモを食べている姿は思い出せません。

農家で育った父ではありますが多くの人数のいる末っ子でした。
貧しい農家でしたので農家といえど、戦時中はひもじい思いをずっとしていたそうです。

戦時中の食べ物はさつまいものツルで、さつまいも自体は売るか何かしていたのでしょう。
父が食べるのはサツマイモのツルの部分だけで、ごくまれにサツマイモを入れた薄い雑炊を食べることがあり、それはおお御馳走だったようです。

ほかにもイナゴや川でとってきた魚など、お金をかけることなく手に入れられるもので食べられるものはなんでも食べていたそうですけど、こと、サツマイモのツルは主食代わりになるくらい頻回に食卓に上っていたようです。
そのためサツマイモをみると、その当時の思いがよみがえってくるようで、私の記憶する限り口にすることはありませんでした。

父は戦時中の話をすることはなく戦争体験を子どもに聞かせて平和教育を行う、というタイプの人間ではありませんでした。
もっとも住んでいた場所が広島でしたので、公的な教育の場で平和教育が徹底して行われていたからかもしれませんが。

しかしながら、こういう父の姿は知らず知らずのうちに戦争は貧しさを生み、食べるものも食べることができなくなる戦争で体験したことは、一生のこころの傷になるということを身をもって感じさせてくれました。


Writing by 亡き父のことがだいすき

というハンドルネームの、親不孝娘です。

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