広島県呉市の倉橋島にある浜辺
そこにはコンクリートの塊があります。
そのコンクリートの塊に隠された旧海軍の名残を紹介します。
浜辺にある遺構
呉市の南で江田島の東隣りにある倉橋島
倉橋島の南東にある大迫の集落。
大迫の集落に面した浜辺に遺構と言える物があります。
それは防波堤のようなコンクリートの物体です。
浜辺から海へ出る形であります。
一見すると防波堤か埠頭の一部のように見えます。
しかしこれは70年以上前に旧海軍が作った物なのです。
Q基地
昭和19年4月に倉橋島で海軍基地ができました。
それがQ基地です。
Q基地と言う不思議な名前は海軍の中でも特殊な装備が置かれた基地だったからです。
「特四式内火艇」と言う海軍の水陸両用車があったのです。
特四式内火艇は水陸両用車の特性を生かして荷物を載せたまま海から陸へ上がり素早く物資を運ぶ為の車輌として開発されました。
運ぶ車輌で車体の大きさに余裕があり車体に2本の魚雷を装着して海底をキャタピラ走行で進み敵艦を攻撃する兵器にも改造されました。
海軍はこの魚雷を装備した特四式内火艇で作戦を計画しました。
潜水艦で作戦を行う現地まで特四式内火艇を運び、潜水艦から降ろされた特四式内火艇は敵艦隊が停泊する海底へ特四式内火艇が忍び込み攻撃すると言う作戦です。
しかし特四式内火艇を潜水艦から降ろすのに時間がかかる事やエンジン音が大きく敵に見つかる可能性が高いなどとして作戦実行はされませんでした。
大迫支隊
Q基地の向かい側である倉橋島の音戸町波多見にはP基地がありました。
P基地も名前が示す通りに特殊な装備がありました。
特殊潜航艇または甲標的と呼ばれる小型潜水艇です。
真珠湾攻撃に出撃した特殊潜航艇もこのP基地からの参加です。
昭和20年3月になるとQ基地も特殊潜航艇の基地となります。
この時に大浦突撃隊大迫支隊が編成されました。
大迫の浜辺にあるコンクリートの塊はこの時に桟橋として使われていた物です。
また桟橋跡の近くには「特殊潜航艇基地 大浦突撃隊大迫支隊跡」と書かれた石碑があり基地があった事を示しています。
見に行くには?
呉市から音戸大橋を渡れば倉橋島に入れます。
国道487号線で南下し先奥で県道286号線に進路を変えて進んだ先に大迫があります。
桟橋跡と石碑がありますが基本的に集落の生活道に面した場所にあるので見学には地元の迷惑にならない場所での駐車など注意が必要です。
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