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蘭学が広まったもう一つの理由

蘭学といえば解体新書ですが、蒸気船にも絡んでいます。

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解体新書

蘭学について学校で習ったことで覚えているのは、解体新書(ターヘル・アナトミア)ぐらいでしょうか。
江戸時代、「オランダ」を漢字で「阿蘭陀」と書きました。
鎖国していた日本が、唯一交流のあった西洋の国が阿蘭陀なので、日本にはない外国の知識を得ようとすると、阿蘭陀語で書かれた書物を読むか、阿蘭陀人に教えを乞うしかありませんでした。
だから洋学全体を蘭学と呼びました。

特に医学においてはシーボルトが来日して以来、従来からある漢方とは違う、科学的な西洋医学・蘭方医学が急速に普及しました。
医者の杉田玄白がオランダ語版医学書ターヘル・アナトミア片手に、腑分け(刑死体の人体解剖実験)を行った時、その解剖図の正確さに驚嘆し、3年以上かけて日本語に訳したのが解体新書です。

つまり人体の正確な仕組みを著した医学書が日本ではそれまで無かったということで、それほど蘭学の知識は先進的で、それは医学だけに止まらず、天文学・化学・物理学など自然科学や、西洋史・世界地理など人文科学にも及び、これらの代表例として解体新書が教科書に載っているのですが、でもこの教科書の説明だけでは実は片手落ちなのです。

Babi Hijau, Public domain, via Wikimedia Commons

日本人が初めて建造した蒸気船

ペリーの黒船が来航し、蒸気船のない日本では国中が大騒ぎになりました。宇和島藩主・伊達宗城は日本も是が非でも蒸気船を建造すべしと決心します。そのために選ばれたのがある蘭方医でした。船大工ではなくお医者さんです。
何故かと言えば、蒸気船の仕組みや建造方法の書物はオランダ語の本しかなかったからです。従ってオランダ語に堪能なことが人材選定の第一条件で、それが蘭方医だったわけです。

医者ですから随分無茶な話のようですが、彼はなんとこれを造り上げてしまいます。
小さいながらも日本人だけにより建造されたこの船は、純粋に日本初の蒸気船として、1858年に試験航行に成功しています。

これを成功させた村田蔵六というこの蘭方医は、蒸気船だけではなく砲台も造り、西洋兵学を藩士に教えました。
彼は後に故郷長州で、軍のトップに抜擢された大村益次郎です。

蘭学は軍事的要請で広まった

西欧列強国から開国を迫られた日本はその軍事的脅威に恐怖しました。
それを跳ね退けるためには軍の強化が必要でした。
しかし260余年の太平を貪っていた日本は外国軍やその兵器については全く無知で、早急にそれを学んで国防軍備を整えねばなりませんでした。

当時、国外情報を得る方法としてはオランダの書物が唯一のもので、その蘭書を読みこなすために蘭学の需要が急拡大しました。幕府のみならず多くの藩が積極的にこれを導入したので蘭学が発展流行したのです。
軍事的要請が蘭学を広め、その蘭学から学んだ西洋式軍制や兵器導入を入り口として、文明開化への道を日本は走り始めます。

歴史大好きじいさんです。
教科書だけでは歴史の理解は不十分のようです。

featured image:Babi Hijau, Public domain, via Wikimedia Commons

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