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レイナム・ホールの幽霊譚

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レイナム・ホールは、英国ノーフォーク州にある歴史的な邸宅で、1637年に建設された。
この屋敷は名門貴族タウンゼンド家が代々所有してきた建造物であり、現在もその子孫によって管理されている。

タウンゼンド家は政治的に大きな影響力を持つ家系で、第2代タウンゼンド侯爵の息子であるチャールズ・タウンゼンドは、アメリカ独立戦争のきっかけとなった「タウンゼンド法」で歴史に名を残している。
レイナム・ホールは貴族の居住地であると同時に、英国の政治史において重要な役割を果たした場所でもある。

だがしかし、この邸宅を一躍有名にしたのは、政治史ではなく幽霊譚であった。

目次

レイナム・ホールの幽霊譚

最初に幽霊が目撃されたのは、1835年のクリスマスだった。
レイナム・ホールではパーティーが開催され、複数の招待客が茶色いドレスを着た見知らぬ女性がランプを片手に廊下を彷徨う姿を目撃した。
招待客たちは、その女性が居間に飾られた「ドロシー・タウンゼンド」の肖像画と酷似していると証言するのだが、彼女は1726年に亡くなっている、つまり幽霊。

この噂は瞬く間に広まり、翌年、英国海軍士官フレデリック・マリアットが正体を確かめに屋敷に訪れたのだが、彼の考えではソレは幽霊でなかった。
当時、ノーフォーク州では密輸者がのさばり、タウンゼント一族は犯罪摘発に関与していた。
すでに周知のゴシップとなった幽霊さわぎに便乗して、密輸者たちがレイナム・ホールに忍び込んで嫌がらせをしている。そうフレデリックは推測した。

フレデリックは自身の仮説を検証するため、数日間レイナム・ホールに滞在した。そしてある夜、廊下を見回っている最中に、ランプを持った茶色いドレスの女性と遭遇する。
相手が女性であることからだろう密猟者ではなく幽霊と確信したのか?
それとも恐怖心からだろうか、手に持っていた拳銃を発砲。
しかし弾丸は彼女をすり抜けて壁に当たり、女性の姿は忽然と消えたという。

いつしかその姿から、幽霊は「褐色の貴婦人」と呼ばれ、世間に噂が広まっていく。

撮影された「褐色の貴婦人」

1936年、屋敷に訪れてきたカメラマンによって、「褐色の貴婦人」は写真に収められた。
彼の目的は幽霊の撮影ではなく屋敷の撮影であったが、ホールの階段に「霧のような女性」がいることに気が付き、慌ててシャッターを切った。
現像された写真にははっきりと幽霊と思われる物体が映り込んでいた。
この写真は雑誌「LIFE」に掲載され、世界的に有名となった。

ただしフェイクであるとも言われ、今でも専門家やマニアたちの間で議論の対象となっている。
確かに写真に映る光の物体は女性のように見えるが、光の加減や偶然の影響によるものとも考えられる。
ましてや当時のカメラは現代のものと比べると粗末な物で、カメラマンが酷使しているものであれば、不具合で予期しない光が入り込む事もあるかもしれない。
さらに、カメラマンが注目を集めるために捏造した可能性も指摘されている。

いずれにしても微妙なシロモノだが、写真技術が発展していない当時であれば、偽物だと疑われる事は少なかった事も考えられる。

褐色の貴婦人「ドロシー・タウンゼンド」

「褐色の貴婦人」の正体が「ドロシー・タウンゼンド」だとすると、なぜ幽霊となって出現するのか?
その生涯を振り返ると、ドロシーは英国初代首相ロバート・ウォルポールの13番目の娘であり、姉妹の中で最も美しいと評されていた。後に第2代タウンゼンド子爵チャールズに見初められて結婚し、彼の2番目の妻となった。

チャールズの最初の妻はわずか30歳で亡くなっているのだが、死因についての記録が見当たらない。
彼の気性が荒かったことが伝えられているため、暴行を受けた可能性も否定できない。

ドロシーは1726年に天然痘で亡くなったとされているが、ある記録によると、彼女は夫の暴力に耐えかね、元々親しい仲だったトマス・ウォートン公爵に相談していた。
しかし、チャールズにその事実が知られ、誤解だったのか、本当に痴情がもつれか、真実は解らないが、気がついてしまったチャールズとすったもんだの末に幽閉され、悲劇的な最期を遂げたという説がある。

その怨恨によって、ドロシーは殺されたときに着ていた茶色いドレスのまま霊となり、レイナム・ホールを今でも彷徨っているらしい。

伝説の正体

この幽霊譚が真実であるかについては、疑問が残る。
関する詳細な記録は乏しく、殺害された証拠もないため、彼女が怨霊として屋敷に現れるという説の信憑性は低い。また、ドロシーとチャールズの間には子供がいた記録があり、夫婦関係が完全に破綻していたとは言い難い。

では、なぜこのような伝説が生まれたのか。天然痘に感染した場合、隔離措置が取られるのは一般的であり、それが「幽閉」として伝えられた可能性がある。また、チャールズの粗暴な気性、最初の妻の早すぎる死、不倫疑惑などが絡み合い、スキャンダラスな物語が形成されたのではないのか。

英国では王室を巡るゴシップが広く好まれる傾向があり、レイナム・ホールの幽霊譚もその一環として受け入れられた可能性が高い。人々の妬みや嫉妬といった普遍的な感情が、生んだ幻想と見るべきだろう。

レイナム・ホールは現在もタウンゼンド家によって維持され、建築的価値から保存活動が進められている。公式ウェブサイトでは、この幽霊譚を含む屋敷の歴史が紹介されており、一般公開されることもある。

この幽霊譚が事実であるかどうか、気になる方は自分の目で確かめに行ってはいかがだろうか?

featured image:Charles Latham (1847-1912), Public domain, via Wikimedia Commons

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