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幕末に来航した黒船の本当の脅威

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幕末期の黒船とは主に蒸気船の軍艦のことです。
この黒船来航後、外国に脅威を感じた幕府や有力藩は、こぞって軍艦の獲得に奔走しました。

目次

外国軍艦の圧力

1853年、米国海軍の軍艦が4隻来航しました。
2隻は蒸気船で、歴史上初めて来日した蒸気船でした。

帆船でも外洋を航海できるような巨大な船は国内では建造が禁止されており、 外国帆船は長崎にしか寄港できなかったので、 これほどの巨艦を目にした日本人はほとんど皆無でした。

おまけにその巨艦は煙突から黒煙を噴き上げながら、 船腹にある大きな外輪を回して威風堂々進むのです。
その威容に驚愕と恐怖を日本人が感じたのは無理もありません。

しかしその真の実力を日本人が体験したのは、 長州藩と列強艦隊が衝突した下関戦争と、薩摩藩と英国艦隊による薩英戦争でした。

その結果は、長州藩は防衛用砲台が艦砲射撃で粉砕され、 敵陸戦隊により砲台を占拠破壊までされて敗北しました。
薩英戦争では薩摩藩が善戦し、 英国側の軍艦1隻大破、2隻中破、死傷者60余名という戦果を挙げたものの、 薩摩藩は城下の約1割焼失という被害を被りました。

黒船の本当の脅威

この両戦役では、外国艦隊の装備する艦砲や兵士の小銃がは、 日本側のそれと比べて最新式で高性能だったという点の戦力差が、 日本側劣勢の原因なのはよく知られています。

しかし注目すべきは、それらの火器や人員を大量に地球の裏側というほどに遠い本国から、 はるばる渡海して運搬できる蒸気船の輸送力であり、 さらには風の有無や風向に左右されることなく、 馬関海峡(現関門海峡)や鹿児島湾という狭い海域で自由に航行できる機動性です。

この輸送力と機動性によって、外国は日本の全ての沿岸都市を砲撃し、 上陸可能などこの海岸へでも軍隊を上陸させることができるようになりました。

外国の外洋帆船は戦国期から来日していましたが、 江戸幕府が鎖国政策によってその来航を最低限に制限し、 外国がそれに従ってきたのは、輸送力と機動性で劣る帆船では実力行使が不可能だったからです。

しかし幕府や諸藩の戦力を凌駕するほどの戦力を運搬し、 日本各地の狭い内海でその戦力を行使する能力を持った蒸気船は、一挙に日本の脅威となったのです。

薩長の英傑たちは蒸気船のこの本当の脅威に気が付き、攘夷から開国へと舵を切ったのではないでしょうか。

幕末期の黒船とは主に蒸気船の軍艦のことです。
この黒船来航後、外国に脅威を感じた幕府や有力藩は、こぞって軍艦の獲得に奔走しました。

参考:日本人が知らない軍事学の常識 兵頭二十八著
※写真はイメージです。

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