日露戦争、日本海海戦。
当時も今も、日本が勝った勝った!とみんな手放しで喜びます。だから日本は強いんだと・・本当にそうなんでしょうか?
日本海海戦における帝国海軍連合艦隊の勝利は確かに圧勝であり、これほどの完全な勝利は世界の海戦史上でも稀なものであったのは事実です。
そしてこの勝利が帝国海軍を列強と肩を並べる地位に押し上げた事も間違いはありません。
しかしこの勝利が日本の連合艦隊の実力のみで得られたものと考えるのには少々疑問が残ります。
確かに連合艦隊の実力は並々ならぬものがありました。
主力軍艦の高速性能。日本独自開発の高性能な信管や火薬を使用した砲弾や速射性能など兵器の優秀性。砲撃の正確さや操艦技術など兵員の練度の高さと旺盛な士気。
などどれをとってもバルチック艦隊を圧倒していましたし、世界的な水準に照らしても立派に誇れるものでした。
これらの事実を勘案した上で、それでもあの完全な勝利は天祐というものが大きく連合艦隊側に有利に働いたからこそのものであると思うのです。
その天祐とは何か。
バルチック艦隊は北欧の海であるバルト海から遠距離航海を経て日本海まで辿り着きました。その出発直後、北海で英国の漁船団を日本艦隊と誤認して攻撃を加えるという、ドッガーバンク事件を起こしています。
これに激怒した英国は支配下にあるスエズ運河のロシア艦隊の使用を拒否。その為ロシア艦隊はアフリカ喜望峰回りという途方もない遠距離航海を強いられました。
さらに英国は自国領の港のロシア艦隊が寄港する事も拒否し、英国領以外の寄港地にも、ロシア艦隊に対する協力は英国への敵対と見なす事を宣言しました。多くの国がこれに応じた為に、ロシア艦隊は燃料の石炭や食料飲料水などの補給が難しくなって兵員の健康や士気に悪影響が出たり、操艦や砲術などの演習も儘ならなくなりました。
この様な非常に悪い状況で、バルチック艦隊はやっとの思いで日本海に到着しました。
しかも寄港地を制限された影響で石炭を大量に積み込み、甲板にまでそれが積み上げられていた程で、艦隊速度や操艦にまで悪影響が及んでいました。 最悪の状態でバルチック艦隊は日本海海戦に突入したのです。
これら英国の行動は、英国がロシアの躍進に危機感を抱いていた上にドッガーバンク事件が起こったという、日英同盟があるにせよ日本側の意思の外のものでした。
それは文字通り天祐の何物でもないのです。
この背景がなければ果たして連合艦隊のあの完勝が可能だったかどうか、それは限りなく不透明になっていきます。
完勝どころか、敗北という文字さえ私の頭にはチラついてきます。
歴史大好き爺さん
歴史上の事件には、巷間伝わっている事が全てではない事もしばしばあります。
時には正反対の間違った結果になっている事もあるのです。
歴史ってだから面白い。
歴史上の事件には、巷間伝わっている事が全てではない事もしばしばあります。
時には正反対の間違った結果になっている事もあるのです。
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