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レメディの実在性

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レメディとは、「同種療法(ホメオパシー)」に用いられる「薬」である。
ホメオパシーの定義としては「その病気を起こすものを使い、その病気を直す事」とある。
提唱したのはドイツ(当時はプロイセン帝国)の医師(便宜上)サミュエル・ハーネマンで、1796年の事である。

ここで使われるレメディは、科学的な見地からは「砂糖玉」と定義されるもので、おおよそ有効成分と呼ばれるものを1モルも含まない(注:カロリー不足による低血糖などの不調を除く)。

端的に換言すれば、100%混じりけ無しのオカルト治療である。

目次

レメディに効果がある世界線

オカルトはとりあえず肯定してみるのが面白い。
このレメディが、本当に効果があるものだとしたら、それはどのような状況が考えられるだろうか?

レメディの解説は様々だが、その本質は

  • 有効成分(と考えられるもの)が含まれない
  • 有効成分(と考えられるもの)が混じっていた事があるものに触れた事はある

色々とホメオパシー側の定義はあるだろうが、自由である筈のオカルトが、科学の真似をして自縄自縛されるのは滑稽でしかない。
詐欺師なら科学を真似る必要もあるのだろうが、詐欺師にはオカルティストとしての美学はなく、金を毟る目的ありきで嘘をつくだけだ。

我々は詐欺師とオカルトを明確に切り分けなければならない。
それは、新聞記者と小説家が分けられている程度には別物だ。

水に残る力

レメディが薬効の根拠にしているものは、「水の記憶」「波動」「オーラ」などの言い方をするが、ともかく

何かしらの「科学では計測不可能な力」が残存して、人体に影響を与える。

とされる。

さてさて。
ここで、水に記憶があるのなら、しずちゃん家のお風呂の水を分析したら、入浴シーンからの「イヤー!のび太さんエッチ!」になるのか、というのは野暮である。
そこは事実として受け容れてみよう。

この時、レメディは、「かつて物質が持っていた何か」を保持して、人間の中でそれを放出し、病気を癒す。
それは化学物質の作用機序ではなく、もっとウェットで精神的なものだ。
つまり「病気を治したい」という意思そのものである。

毒のレメディは何故ないのか?

何故「意思」なのか?
これは簡単である。

もしもレメディが機械的に「成分の記憶」を保持するのであれば、人間は生きてはいない。
通常、水道水の中には、毒となるヒ素や重金属などが含まれる。勿論、正常な状況であれば、生物学的反応を起こさないほどごく微量である。
水に記憶力があるなら、毒も覚えている筈だ。

当然どんなに薄めても、ヒ素はヒ素の効果を発しなければ理屈に合わない。
しかし現実は非情である!
毒がレメディ的作用を起こす事はない。
なるほど、レメディは毒には作用しないのか。
そう考えれば、

理屈に合わない。

薬というのは本質的に毒である。
例えば、心拍は1分当たり1000回になっても1回になっても人は死ぬ。
心拍を上げる薬も下げる薬も、過剰に作用すれば人は死ぬ。

一般的に毒と呼ばれるのは、致死に至る量が比較的小さいものだ。しかし、薬効成分だったとしても、炒り豆を食べる程度のサイズにすれば、死ねるものは多数ある。

薬が視認出来るのは、賦形剤という乳糖やデンプンでかさ増ししているからである。
実際の有効成分の分量はマイクログラム単位で、指でつまめないほど少量の事も多い。
尚、生薬の場合は、それ自体に繊維質など不純物が混じり、成分としてはずっと少なくなるため、薬量が多くなっている。

レメディは砂糖玉

繰り返しになるが、レメディは、

人間が「病気を治したい」という「意思」に反応する
※さもなければ、人間は水道水で死ぬ

ここへ来て、1つの仮説が持ち上がる。

レメディはひょっとして、何の価値もない、ただの砂糖玉ではないか?

前提を覆す説である。
レメディには効果が出ている世界という設定の筈である。レメディをのんで病気が治った人がいる世界だ。
それはレメディの効果を表すものではないのか?

・・・・・・・ないのである。

レメディで治ったからといって、レメディに薬効がある訳ではない。
プラセボの話ではない。
今はそういう真面目な話はしていない。

薬効成分はないが、薬として効く」
これが、ホメオパシーのオカルト的解釈である。
レメディは「成分の記憶」が作用しただけと呼ぶには、あまりに人間的過ぎるのである。
ここに存在するのは、人間の意思そのもの。

サイキックである。

科学で計測できないエネルギーが実在する世界の話である。
レメディの「水の記憶」が残る前提なら、ずっとパワフルな人間の意思が、物理的な力を持たない方がおかしい。
何しろ人間の思念は、脳波という形で科学的な計測さえ出来る。

「燃」理論による解釈

分かりやすいように、人間の思念の力を「燃」としておこう。
レメディには、その生成過程において、人間の「燃」がこめられる。
人間を助け癒したいという気持ちが高密度に集まった「燃」は、薄めてもなくならない。というより、作業工程でより人間との接触が増えるのだから、より高まる。
その後、患者に投与される。
「燃」の作用機序は科学的なものではなく、患者の魂に作用する。
これにより、「燃」エネルギーは、魂を癒しその容れ物たる肉体を修復する。革靴を履くうちに足にフィットするようなものだ。

では、効かないレメディは何なのか?
「燃」能力の不足と相性である。
「燃」には、ある程度の系統があると考えられる。
向き不向きがあるため、波長が合わない人間同士では上手く働かない。
材料にハーブが使われる事もあるが、入手方法の困難さや、お値段などが制約となって「燃」能力が跳ね上がる場合もあり得る。
これが、レメディの作用機序である。

オカルト療法においては、この「燃」能力がしばしば軽視される傾向がある。
折角オカルトに解決を見出しているのに、科学にばかり拘泥して、最も強い人間の持つ意思のパワーを見失うのは、滑稽と言わざるを得ない。

それとも、やはり見ないフリをしている、ただの詐欺師が大半なのだろうか?

※画像はイメージです。

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