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幕末に福岡で起きた勤皇派弾圧事件

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尊王攘夷運動で大規模な運動があったのは、「薩摩」「長州」などが有名ですが、実は福岡でもかなり盛んだったそうです。そのため当時福岡藩藩主である黒田長博公は大規模な「尊王攘夷」弾圧を行っています。

幕末に福岡藩の藩主をしていた黒田長博は「尊王佐幕派」に属しており、天皇は敬うべきであるが幕府を助けながらするという考え方の持ち主でした。非常に先進的な考えの人物で、鉱山を開発したり外国の知識をふんだんに取り入れる人物として非常に有能なお殿様だったそうです。

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福岡藩の家老たち

しかし福岡藩の家老たちは違い、尊王攘夷派運動の志士たちを「大宰府天満宮」に匿ったりしています。黒田長博は部下たちが勝手に動くことを快く思っていないものの、尊王攘夷派の志士たちに尊王という志は一緒ということで見て見ぬふりをしていました。

しかしそのことが幕府に発覚し「福岡藩も長州藩のように幕府にたてつくのではないか」という疑惑を受けてしまいます。そのために焦った黒田長博は、福岡の尊王攘夷派を取り締まり弾圧しています。

福岡の尊王攘夷派

そして福岡の尊王攘夷派の方も凶暴になっていき、博多の豪商を殺害して晒し首にしたりという狼藉も働くようになってきました。そして幕府に見方をする家臣たちの間で次第に「尊王攘夷派は黒田長博公をご別邸に監禁しようとしている」という噂が広まったそうです。その噂を耳にした黒田公は怒り、さらに長州征伐が幕府で広がったために弾圧を強める運びとなりました。その時に捕まった勤皇の志士は約140名、そのうち7名が切腹、15名は斬首されたそうです。

ちなみに斬首された場所は福岡では中心地で現在高級住宅街になっていますが、昔から住んでいる人はそこが処刑場だったことを知っているために住むのを避ける場所です。現在も知らずに住んだ人が幽霊を見て引っ越すという噂も聞くので、家を買うときや借りるときは土地の利便性ばかり重視せずに場所を調べておくことをおすすめします。

犬鳴御別館

黒田公のご別邸があったという場所が、福岡の心霊スポットで有名な「犬鳴御別館」という場所です。現在は城跡だけですが、地元の人はあまり近づかないスポットとなっています。ここも昔から逃げ城として城が建てられるほど俗世から離れた場所で「犬鳴村」という地図に載っていない場所として話題になっていますが実際にあるかはともかく住人は住んでいたりします。

農家を営んでいますが、やはり離れた場所にあり噂によると「ハンセン病患者」の施設があったという地元の噂があります。そういった場所が幕末に関係していたのも、なんとなく筆者的に心霊スポットとして有名になる要素がある出来事のように感じます。

※画像はイメージです。

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