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日本海軍二度目の航空攻勢~ろ号作戦~

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1943年(昭和18年)の太平洋戦争は連合国軍の反攻が本格化します。
日本海軍は「い号作戦」と同じ航空作戦である「ろ号作戦」を実行しますが、以前とは違う様相になります。

目次

1943年(昭和18年)夏から秋にかけて

1943年(昭和18年)4月17日、「い号作戦」を終了させた翌日、山本五十六連合艦隊司令長官がブーゲンビル島の上空で戦死、代わって古賀峰一大将が連合艦隊司令長官に就任します。

戦況はアリューシャン列島のアッツ島が玉砕、キスカ島から撤退
ソロモン諸島でも6月にニュージョージア島へ米軍が上陸し、南太平洋での反攻が始まりました。

東部ニューギニアでも連合国軍は本格的に攻めにかかります。
日本陸軍はソロモンやニューギニアに戦力を強化するものの、日本海軍の燃料不足は相変わらずでした。

「ろ号作戦」

古賀連合艦隊司令長官は1943年(昭和18年)秋に「ろ号作戦」を決行する。
その目的は東部ニューギニアに侵攻を続ける連合国軍を航空戦力で攻撃する事でした。
しかし、ラバウル航空隊の戦力は消耗を続けて大作戦を担うには戦力が足りない。

今度も「い号作戦」と同じく空母部隊である第3艦隊から航空機がラバウルに送られます。数は「翔鶴」・「瑞鶴」・「瑞鳳」から合わせて173機です。
しかし、作戦は当初の計画から変わってしまいます。

ブーゲンビル沖の激戦

10月28日に連合艦隊は「ろ号作戦」を発動
10月末、日本軍はブーゲンビル島の沖に敵艦隊を発見した事から「ろ号作戦」はニューギニアとは反対のソロモン諸島のブーゲンビル島の海域への作戦に変わります。
ニューギニアよりも、日本軍の拠点であるラバウルに近いブーゲンビル島の米軍侵攻が大きな危機なのです。

11月2日からブーゲンビル島沖の敵艦隊を目指して出撃
再度の出撃を準備中にラバウルが空襲を受けて出撃は中止となった。
海上でも重巡洋艦2隻・軽巡洋艦2隻・駆逐艦6隻からなる艦隊がラバウルより出撃し米艦隊と交戦するも軽巡1隻を失います。
「ろ号作戦」は航空作戦だけではなく、艦艇も出撃して激化して行きます。

米軍の反撃

連合艦隊は「愛宕」や「最上」など重巡洋艦5隻を中心とした艦隊をラバウルに送り、ブーゲンビル防衛に出撃させようとします。
しかし、11月5日に米空母がラバウルを空襲して艦隊は被害を受けて出撃できなくなりました。
「い号作戦」の時とは違い、米海軍は「エセックス」級空母などが実戦投入され、各地の米軍航空戦力も増強され攻撃に出て来ます。

そもそもニューギアニアへの作戦だった「ろ号作戦」がブーゲンビル防衛作戦に切り替わってしまいました。
11月12日に終了した「ろ号作戦」の結果は軽巡1隻を中破しただけで、ブーゲンビル島への米軍侵攻を止める事はできなかった。
逆に日本軍は180機を喪失、特に空母の航空戦力は115機を失い、後のマリアナ沖海戦に影響を及ぼすようになってしまいます。
「ろ号作戦」は戦局がもはや日本軍に主導権がない事を示す戦いであったと言えます。

参考文献
・歴史群像太平洋戦争シリーズ(7)ラバウル航空隊 Gakken
・歴史群像シリーズ決定版太平洋戦争(5)消耗戦~ソロモン諸島・東部ニューギニアの死闘~ Gakken
・歴史群像2015年8月号「昭和18年秋ブーゲンビル島沖航空戦」文:古峰文三 Gakken

featured image:Shizuo Fukui, Public domain, via Wikimedia Commons

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