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大きなゴムの木の下で~お爺ちゃんの財宝伝説~

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おじいちゃんが痴ほう症で老人ホームに入る前なので、私が高校生の頃聞いた話です。
太平洋戦争中、おじいちゃんは参謀付という位でジャワ島にいたそうです。

「俺は東条英機にも会った」それがおじいちゃんの自慢話の一番最初に出てくる決まり文句でした。
第二次世界大戦の戦火が日に日に激しくなり、日本本土における食料事情も厳しく行った頃、おじいちゃんはジャワ島の大きなゴム園の邸宅を宿舎として支給され、メイド付きの優雅な生活をしていたそうです。

当然、食料にも事欠かず、ご飯や肉、魚は勿論のこと、食後には南国名物のバナナ、マンゴー、パパイヤなどを食することが出来たそうです。

メイド付きの生活という事から容易に想像できた話なのでが、当然、おじいちゃんの給与も良く、おじいちゃんは人生で体験したことのないような優雅な生活を送っていたそうです。
そんな優雅な生活がそう長く続くわけでもなく、ある日、日本が負けるかも知れないと言う情報がおじいちゃんの耳に入りました。

おじいちゃんは無事本土に帰還出来るかと普通の人間なら考える所を、彼は全く違うことで頭がいっぱいでした。
自分がこの優雅な生活で手にした金銀等の財宝でした。

これを日本に持って帰ろうものなら、船に乗る前の荷物検査で取り上げられるだろう。
仮に検査を潜り抜けたとしても、引き上げ船の中で盗まれることも大いに考えられる。重ねて、もしその盗みからも財宝を守り抜いて帰還したとしても、港で占領軍に取り上げられることは目に見えることだ。

そこでおじいちゃんに名案が浮かびます。
この広大なゴム園に植えられているゴムの木は数えることも出来ない程の本数だ。そのゴムの木の下に自分の大事に集めたこの金銀の財宝を埋めたらきっと見つかることがない。

思い立ったら吉日、おじいちゃんは深夜の人気のないゴム園の一本のゴムの木の下に穴を掘り、その金銀の財宝を埋めたそうです。

間もなく戦争が終わり日本に帰還しますが、家族は痩せこけ、自分だけがふっくらしているのを見た時の決まりの悪さと言ったらなかったとよく話していました。
そしておじいちゃんはこの財宝の事を、家族にさえも秘密にしていました。

そのあと、戦後の混乱期も過ぎ、子供たちも独り立ちしていき、おじいちゃんも務めていた会社を定年退職し、しばらくすると、おばあちゃんもなくなり、一人悠々自適な老後の日々がスタートしたときです。

不意にその財宝のことを思い出します。
「あっ、あの財宝を掘り起こせば、この私の生活がもっと豊かになると」

しかし・・・・おじいちゃんの喜び露と消えてしまいました。
長い年月でおじいちゃんはそのゴムの木が、どこにあったかを忘れてしまったからです。

その時のおじいちゃんの顔といったら、これほど悔しい事はないという感じで、今でも思い出します。

※画像はイメージです。

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