「タクシーに乗車する幽霊」のストーリー、心霊体験や怪談のスタンダードとなって半世紀ほど経つ。
かつてJR相模線沿線には、タクシーではなく列車に乗る幽霊がいたという。
おそらく1960年代から70年代末にかけて、相模線を利用する乗客たちの間で噂されたのだろう。
JR相模線と入間駅
JR相模線は茅ケ崎駅から相模原市の橋本駅までを結ぶ路線であり、なんの謂れがあるのか、周辺住民のあいだで「ガミ線」というあだなで呼ばれることもある。
東京都内に勤務先や進学先のある神奈川県民の場合、東海道本線のある茅ヶ崎駅から相模線へと乗り換えて、住居のある相模線の各駅で下車、帰宅する住民は多い。
相模線に特徴的なのは、乗り降りする際には電車に取り付けてあるボタン式ドアを利用する点だ。ホームから電車に乗るときは、車外にあるボタンを押して電車のドアを開け、乗り込むと今度は車内のボタンを押してドアを閉める。
目的の駅で降りるときは、車内のボタンを押してドアを開けてホームに出る。
このシステムに馴染みのない人物が相模線の電車に乗ってしまうと、自動で開くものと思い込んでドアの前に立ち、降りたい駅の前を通過してしまう。また相模線が非電化路線であった80年代まで、運行されていたディーゼルカーの車輛ドアは手動であり、開け閉めする乗客にも相応の手力が必要であった。
そんな相模線沿線の無人駅のひとつに、入谷駅がある。現在でも入谷駅周辺は、水田や雑草の生い茂る空き地に囲まれて湿気が多く、首都圏でありながら影のある雰囲気が漂う。
ラッシュ時の入谷駅は通勤客や通学する学生たちでごった返すが、陽が落ちると何となく、あの世との回路が開いたような風景にもなる。
開発が進む以前は、そうした現実が揺らぐような錯覚をおぼえる雰囲気が現在より濃かったかもしれない。
入谷駅の幽霊
かつて神奈川県に住む女性が語ったところでは、夜ごと入谷駅から橋本駅まで乗車する若い女性の幽霊がいたそうだ。それも、何故か決まって最終列車に乗る。
彼女は中学時代、通学に使用していた国鉄時代の相模線の思い出と、相模線の最終列車にまつわる噂を耳にした記憶を回想する。三輌ほどの列車、重たい手動ドアの不便さ、次第に都心をはなれて風景や空気が「田舎っぽく」なること、その最終列車に乗り込んだとき、ふと脳裏を掠める入谷駅からの乗客の噂。
最初、異変に気がついたのは相模線の列車に勤務する車掌だった。相模線の終列車で仕事をしていた車掌はあるとき、入谷駅から必ず乗車する若い女性の存在が気にかかった。
相模線の最終列車であるディーゼルカーに勤務する車掌と運転手は駅に到着すると、ホームに立っている乗客が手動ドアを開けて乗車し、乗客が駅に降りるところを目視で確認してから、列車を次の駅へと運行させる。だが、列車が入谷駅を離れて終点である橋本駅に到着するまで、必ず入谷駅から最終列車に乗車している女性客が、別の駅で下車したところを車掌と運転手、どちらも確認していない。
それなのに、入谷駅から乗車したことを確認した女性は橋本駅に着くころには、車内のどこにも見当たらなくなっている。それと同じ出来事が終電のたびに、入谷駅から橋本駅の区間で起き続けた。
相模線に勤務する国鉄職員たちの間で、車内から消失する女性客の存在が噂になるまで時間は掛からなかった。
嵐の夜に
暫く経った夏の日、関東地方を台風が襲った。
その日の夜、豪雨のなか相模線の最終列車は橋本駅を目指して走っていた。乗客たちは全て厚木駅で降りてしまい、列車内には運転手と車掌をのぞけば人間はいない。
運転手と車掌は「こんな台風の夜だから、もう誰も列車には乗らないだろう」と考えていた。そうして入谷駅へと列車が入ったとき、運転手は豪雨のなか、傘をささず、ずぶ濡れになってホームで列車を待つ件の女性を運転席から目にした。
いつも終電の相模線に乗り、橋本駅に到着するまでに姿を消す若い女。運転手と車掌にとっては、顔なじみのある女。
その光景を目にした運転手と車掌は血の気が引くと同時に、どう判断すればよいか迷った。
件の女性を「幽霊ではないか」と、半ば冗談で口にする職員はいたが、誰もが本気でそう考えていたわけではない。なので彼女がこの世のものではないと、運転手と車掌は判断できない。
普通に考えれば生きた人間であるかもしれず、であれば列車を通過させず、入谷駅に停車して女性を列車に乗せなければならない。列車は入谷駅に停車、ずぶ濡れになった女性は手動のドアを開け、列車に乗り込んできた。
ただひとりの乗客を確認すると、車掌は出発を告げた。
女性の行方
列車内には車掌と運転手、乗客の女性を合わせて三人のみ。入谷駅から列車に乗り込んできた女性は、今夜こそ何処かの駅で降りるのだろうか?
車掌は素知らぬ素振りで通常どおりの業務をこなし、列車のなかを行き来するたびに、席に座り込んだ女性に目をやる。そのうち次の相武台下駅に到着した。
彼女は列車を降りようとしない。
乗り込んでくる乗客もいない。
下溝駅、原当麻駅、番田駅を通過するたび、乗り込んでくる乗客はおらず、女性は降りる気配をみせない。たったひとりの乗客である女性を乗せたまま、とうとう列車は終点である橋本駅に着いた。
時計は日を跨いで午前0時をまわっていた。
橋本駅に到着してすぐ、車掌は車内をくまなく確認した。何度となく乗車していること、どの駅にも下車していないことを確認した。女性はやはり、どこかへ姿を消していた。
そして「タクシーに乗る幽霊」と同様、ちゃっかりと坐っていた席を水で濡らしている。
最終列車は停車する
女性の幽霊はそれっきり、相模線の乗客や国鉄職員たちの前から姿を消したらしい。
この噂を聞いた相模線の利用客である中高生の間では、仕方なく最終列車を利用する夜、暗闇につつまれた入谷駅を通過するのは良い気分ではなかったそうだ。
「もし人気のない深夜の列車内で、女性の幽霊と乗り合わせたら、どうすればいいのか?」などと、つい考えてしまうから。
そんなことを思い付いてしまう夜に限って、最終列車は入谷駅に停車してしまうのである。
誰が乗車してきたかと思ってドアに目をやると、こんな夜中に若い女性がひとりで。
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