西郷隆盛は本当に幕末のヒーローなのか?
こういうとかなり語弊があるのかもしれませんが、では西郷隆盛の裏の顔をご存知でしょうか?
表向きには確かに江戸幕府を倒し、名刺新政府を樹立し新時代を切り開いた立役者ですし、その人柄・人徳は決して否定できません。
しかし歴史の表舞台ではあまり語り継がれることのない西郷隆盛というのも確かに存在するのです。
はじめに
幕末から明治維新にかけての立役者であり、その人柄から数多くの方々に愛されて止まない西郷隆盛。
そんな大人物でありながら、歴史の表舞台では語られぬ裏の顔というものが存在します。
ここではそんな西郷隆盛の知られざる裏の顔に関するエピソードをご紹介します。
一度上げたこぶしのやり場に困る
時は1867年。朝廷より江戸幕府を倒すための「討幕の密勅」が薩摩藩・長州藩に下されます。
しかしその直後、江戸幕府の将軍・徳川慶喜は大政奉還委より政権を朝廷に返還するという超高度の政治的手法を用いります。
このことにより、江戸幕府を討幕するという名目は立たれ、薩摩藩・長州藩ともに一度振り上げたこぶしを下げざるを得なくなり、もはや江戸幕府と戦う意義すらなくなりました。
しかし西郷隆盛としては、政権を返還された朝廷の現状ではその政治遂行能力は皆無であり、それに乗じて再び徳川慶喜が政権の主導者に返り咲くという思惑であることを見抜いていました。
そのためには是が非でも武力をもって、徹底的に江戸幕府を壊滅させるにほかの手立てはないと判断します。
そうなれば戦いのきっかけが必要です。
過激派ゆえの戦いのきっかけづくり
そこで西郷隆盛は一策を講じます。
江戸の薩摩藩邸に過激派の浪士たちを集め、江戸市中で略奪や強盗を行うよう指示します。支柱で悪事を働いたのちに、即座に江戸の薩摩藩邸に逃げ込みます。
そうなれば世間は薩摩藩が主導者であると認識します。
その指示を実行させるのちに、ついに江戸幕府側の堪忍袋の緒が切れます。江戸幕府側の庄内藩が薩摩藩邸を取り囲み、火を放ってしまったのです。
まんまと西郷隆盛の策略にはまってしまう結果となるのです。
戦の火ぶたが切って降ろされる
これをきっかけに江戸幕府内部も戦路線へとヒートアップし、対する薩摩藩・長州藩も朝廷側として相対します。そして戊辰戦争の出発点である「鳥羽・伏見の戦い」が始まるのです。
ここに至るまでに、おそらく西郷隆盛の頭の中での計算通りだったのでしょう。しかし江戸の薩摩藩邸が焼き討ちになった時に、多くの薩摩藩関係者が亡くなっています。
その死すらも計算通りだったとすれば、人徳厚い西郷隆盛のイメージは全く覆されるものです。
本当に西郷隆盛は幕末のヒーローなのでしょうか?
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