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今でも欠かさない!昔の敵に敬礼!!

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今も昔も海上自衛隊はたびたび海外に行きます。それは訓練であったり、派遣任務であったり・・・
もう20年近く昔の話ですが、私が海外派遣訓練に参加したときの実話です。

目次

海上自衛隊に入隊して2年目

私が海上自衛隊に入隊して2年目の話です。

広島県の江田島にある海上自衛隊第一術科学校に入校を命じられ専門(術科)教育を受けていた私ですが、その日は約5ヶ月に及ぶ教育もようやく終わり任地へ旅立つことに。
全国的に寒気が覆っていてとても寒く、あちこちで積雪が観測されるような天候でした。

向かう任地は長崎県長崎市。私はこの長崎市の三菱造船所で定期修理中の護衛艦の乗組を命ぜられ、高速船と鉄道を乗り継ぎ、長崎市の三菱造船所に到着した頃には列車の大幅なダイヤの乱れもありクタクタ。

すでに陽も暮れ、20時を過ぎていました。
「でっかいなぁ・・・・・」
ついつい出てしまう独り言。

造船所内に停泊している護衛艦は長崎市街地の明かりに照らされ、それはまるでお城のように感じます。

早速着任の挨拶を済ませると、乗組員のある人からこう告げられました。
「おい!お前ハベー行ったことあるか?今年はハベーだからな」
と・・・・・・

ハベーとは「米国派遣訓練」の隊内の略称。漢字で書くと「派米」となります。
「はい!昨年リムパックに行きました!」
と元気よく答える私。

リムパックは「Rim of the Pacific Exercise」の略称。日本語にすると環太平洋合同演習のことです。
私が昨年江田島の学校に入校する直前はこの訓練で3ヶ月半、ハワイとカリフォルニアのサンディエゴに行っていました。
と、元気に返答したものの、心の中では・・・・・・

「マジかぁ・・・・・・最悪。また長期出港かぁ・・・・・・」
とガッカリ。
なぜなら入隊以来母港の佐世保にほとんどいない生活を送っていたから。

またもや約3ヶ月の派遣訓練なんて・・・・・・
本当にトホホな気持ちで着任早々にテンションが上がるわけありません。

そんなこんなで着任からまもなく定期修理も終わり、訓練が始まります。

練度を回復する訓練の日々の先に

派米まで残り少ない日数で、乗員が修理中に落ちた練度を回復する必要がある大切な訓練。
毎日毎日、それこそ日の感覚がなくなるくらい過密スケジュールで訓練をこなしていきます。

私はと言うと、以前勤務していた護衛艦とシステムも使用する機器も全く違うため、とにかく仕事を覚えるのに必死な状態で、気付けば派米へ出発の時を迎えていました。

出発の前夜、下宿として借りているアパートで連日の訓練から、ちょっとだけ解放された気分からか、私はフトこんなことを考えました。
「訓練が出来るって幸せなことなのかな・・・・・・」

それは長い航海に出る前の感傷的な気分からかもしれません。でも確かにそう感じたのです。
なぜならば・・・・・・

先の大戦で日本は多くの艦艇を撃沈され、海軍は壊滅状態で終戦を迎えました。
恐らく戦時中はろくに訓練も出来ず、いきなりの実戦が訓練のようなものだったことは想像できます。

私達はこの時代に生まれ、戦うにしても充分な訓練を積んで死地に赴ける。
それは1人の職業軍人としては本当にありがたいことなのでは?と・・・・・・

海上自衛隊では海外の任務に付く際、過去の歴史の中で戦闘があった海域を通過する際は洋上慰霊祭をおこないます。
派米であればミッドウェー沖、東南アジア方面であればフィリピン沖等。
先人の霊に祈りを捧げ、いまの時代を生きる私達は感謝と平和を誓います。

そして、それは当時の敵であったアメリカに対しても・・・・・

昔の敵に敬礼

私が勤務する護衛艦は感傷的な夜の翌日、日本を出発して数週間の航海を経て、飛行機なら8時間程度で到着するハワイ州オアフ島沖に到着しました。

「久しぶりの陸地だ!」
やはり私達は陸の上に生きる動物です。
陸地が見えると理屈抜きで嬉しい。

護衛艦はいよいよ入港予定のオアフ島パールハーバー(真珠湾)へ進入します。

「戦艦アリゾナへ敬礼する!左、気を付けっ!」
ラッパが吹き鳴らされ、指揮官の
「けーっ!(気を付け!の号令)」
の声が響くと、かつての敵アメリカの戦艦アリゾナの死者へ敬意を表する敬礼がおこなわれます。

戦うこと・・・・

それは決して綺麗ごとではないし、2度と起きてはいけないこと。

ただ、時代を経て、例え当時の敵であってもイクサで倒れた死者に対して敬意を表する想いはいつまでも必要なことです。
実は海上自衛隊の艦艇はパールハーバー(真珠湾)へ入港する際、必ずこの戦艦アリゾナへ敬礼をします。

当時の日本が沈め、多数の米海軍軍人が命落としたこの歴史をいつまでもいつまでも弔うことで平和への誓いとしているのです。

アメリカへの派遣訓練に参加する海上自衛隊員しか経験しないこの敬礼は、この先もずっと私達の知らないところでおこなわれ、先の大戦が今と繋がる歴史として生き続けることでしょう。

匿名希望の元自衛官:恥ずかしながら船酔いしました(笑)

※写真はイメージです。

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