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暗黒神話でSANチェックから狂気に陥るプロセスについて考える

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暗黒神話、いわゆる「クトゥルー神話」の特徴的なプロセスに「発狂」がある。
これは、原典であるH.P.ラヴクラフトの一連の著作または神話において、しばしば語り手が神格との接触やそれに関わる怪奇現象の末、精神を崩壊させる様子が描写された事による。

この描写はテーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム(TRPG)『クトゥルフの呼び声』でもシステム化されている。他のTRPGと差別化が図られる非常にユニークなシステムで、探索者達が精神を崩壊させ狂気へ至る様子が分かりやすく「SAN値(正気度)」によって数値化されていた。

さて、この「SAN値を失って発狂」というプロセスは、一体何がどうして起こっていると解釈するべきだろうか?

目次

ロマンティックな狂気は存在しない

狂気というのは便利なギミックである。

  • 理由がないけど人を殺しました → 狂気のせいでした。
  • 証人が不可解な証言をします → 〃
  • 見えない物が見えています → 〃
  • 友達がおはぎに針を入れます → 〃
  • ぺたぺた足音が聞こえ、謝る声がします → 見えない幼女が実際に付いて来ていました。

狂気は「キャラクタに行わせたい行動があるけれど、リアリティのある理由が設定出来ない」という時の逃げ道にもなる。狂気と正気がまだらの状態なら、一層作者の思い通りになる。
同じ理屈で使いやすいものに「記憶喪失」がある。こちらは、重要な情報を自由に小出しに出来るので、ミスリーディングが容易い。

当然、これらは禁じ手の類である。ご都合主義で、酷く退屈な筋書きになる。
狂気描写に必要なのは、狂気の中に限っては合理的な行動をしている筈の人間の姿だ。
人間を全くなくしてしまっては、狂気の価値は半減する。セントバーナードが狂うのと代わらない、ただの災害でしかない。

何でも出来るロマンティックな狂気は、二流の小説の中にしか存在しない。
すなわち、一流作家もしくは暗黒神話預言者のH.P.ラヴクラフトに無縁なものだ。

暗黒神話における「発狂」を起こすもの

暗黒神話における「宇宙的恐怖」とは、宇宙的スケール感で、容易に人間の精神をオーバーフローさせる恐怖感情という辺りになろうか。

だが果たして、人間は恐怖を感じるだけで狂えるだろうか?

狂気は認知の歪みか、脳の生理的な故障と考えられる。
視覚情報だけで人間の脳が破壊されるだろうか?

その可能性は薄いと言わざるを得ない。

長期的に繰り返されれば影響も出るだろうが、瞬間的なダメージは与えられない。人間の感覚は、一定よりも大きい量を受け止める事が出来ない。そこにあるのは、感覚器の破損であり、脳ではない。更に脳は、脳内物質による防御を行える。
身体を大きく欠損する程の大怪我を負った人間が、直ちには痛みを感じないというのは、脳内物質の作用である。これと同じ事が、度を超した恐怖に対しても起こる。

結論として、量的な恐怖に関して、瞬時に狂気に陥る事は不可能である。

恐怖によらない発狂

だとしたら、質的な恐怖があるのではないか?
だが、こちらについても、狂気に辿り着くには、疑わしい部分がある。

暗黒神話で描写される恐怖は、

  • 肉体が損壊され死に至る恐怖
  • 自我が失われ別の物になる恐怖
  • 上記に合理性も慈悲もなく、逃れるという概念が全く存在しない恐怖

これは人類が自給可能な恐怖だ。
拷問や洗脳、薬物などによって、肉体や精神を破壊する事は、歴史の中で幾度となく繰り返された事だ。
だがそれでも、ゆっくり人格が破壊される事はあっただろうが、瞬時に狂気に陥るという類のものではない。
拷問から生還した人もいるだろう。
ここへ来て、1つの仮説が浮かび上がる。

彼らの狂気は、恐怖によってもたらされた訳ではない。

そして、
彼らは、「知った」事で、狂気に陥ったように「見えた」。
のである。

新たな視点

知っただけで狂気に陥る知識とは一体何か?

それは、4次元方向の認識である。
4次元を認識したが故に、彼らは「発狂」したのである。

と、言っても、理解し難いかも知れない。
次元は1つ下げて考えると分かりやすい。

  • 2次元人は平面に所属し、厚みがない。
  • 3次元人は、平面な世界を直角方向に積み重ねて認識出来る。
  • 4次元人は、「直角方向」に3次元空間を並べて認識出来る。

時間経過を第4方向の「移動」と解釈すると、現実世界を理解しやすい。
ここでは、この「4次元方向は時間」説を採用する。

暗黒神話において、次元の考え方はしばしば出てくる。
ルルイエの建造物は幾何学的におかしく、ティンダロスの番犬は鋭角から出てくる。
そして、神格はしばしば超光速の移動が可能である。
奉仕種族のバイアクヘーですら、光速の400の移動が可能だ。神格にも当然可能だろう。

時間方向の移動が可能であると考えれば、三次元空間の距離に意味は無い。
次元を下げて考えるなら、2次元空間でどんなに離れていても、3次元方向に折り曲げてしまえば、瞬時に2点間を移動できる。
筒に丸めてしまえば、複数点を瞬時に移動でき、同時多発的に出現もできる。

3次元の痕跡

神格との接触が、この4次元方向の認識をもたらすものと考えたらどうだろう。

この認識を得た人間は、4次元方向にもある自分を認識する。
そして、時間的に過去や未来を認識しながら動く。
これは3次元からどう観察されるだろうか。

次元を下げよう。

3次元人が、2次元世界からどう観測されるだろうか。
2次元から見える3次元人は、途中なら輪切り断面、端なら時折出現する靴の裏でしかない。
3次元視点で何をしても、2次元人には輪切りのような「影」が不気味に蠢く状態だ。
この不可解な動きが「発狂」の正体ではないか。

次元を戻そう。

つまり、3次元から観察される、「輪切り」の3次元肉体は、4次元の動きに引っ張られながら動く、「影」に過ぎない。

認知症を発症した人間が、10年前の世界にいるという認識の事がある。
これは、外からも理由が観測出来る。
だが、一万年後の未来を見ながら行動する人がいたら、その行動は狂気以外の何でもない。
こうして、暗黒神話の神格に触れた者達は「狂気」に陥ったように「見える」のだ。

3次元から見れば、恐怖に支配され、精神崩壊したように見えるその「影」は、4次元方向から観測すれば、新たな知見に喜ぶ、宴会風景なのかも知れない。

※画像はイメージです。

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