1942年(昭和17年)5月に起きた史上初の空母対決となった珊瑚海海戦
この海戦のよる結果は太平洋戦争の戦局に確実に響いていたのです。
珊瑚海海戦での日本軍の損害
珊瑚海海戦で日本海軍は空母「祥鳳」を撃沈され、空母「翔鶴」が飛行甲板を大きく損傷する被害を受けました。
何よりも日本軍にとって大きな損害は「翔鶴」と「瑞鶴」の航空戦力です。
日本軍の機動部隊は30機以上を喪失(これとは別に修理不能で12機を海に投棄)している。
航空機と言う物だけではなく、高橋赫一少佐をはじめとする高い技術を持つパイロットと言う人材の損失も大きいものでした。航空機の生産能力と、空母のパイロット補充を考えると日本軍にとっては簡単な事ではありません。
「翔鶴」の修理と航空戦力の再建の為に「翔鶴」と「瑞鶴」は翌月のミッドウェー海戦に出撃はできませんでした。
ミッドウェー海戦での影響
対して米軍は空母「レキシントン」を撃沈され、「ヨークタウン」が損傷した。
米太平洋艦隊が持つ空母で無傷で健在なのは「エンタープライズ」と「ホーネット」だけになった。
(「サラトガ」は1月に日本軍潜水艦の雷撃を受けての損傷を修理中、「ワスプ」は地中海で行動中)
しかし、「ヨークタウン」は被害が爆弾1発に留まったせいもあって、突貫工事による修理で戦列に復帰した。航空戦力は「サラトガ」が修理の為に降ろした航空隊によって補充し、「ヨークタウン」はミッドウェー海戦に臨む事ができた。
もしも、「翔鶴」と「瑞鶴」の受けた損害が少なくミッドウェー海戦にも出撃で来ていたら、「ヨークタウン」をも撃沈していたらミッドウェー海戦は違った結果になったかもしれません。(修理が終わったばかりの「サラトガ」が出撃する可能性はある)
陸路からのポートモレスビー攻略へ
珊瑚海海戦で海からのポートモレスビー攻略に失敗した日本軍は陸路からのポートモレスビー攻略を目指す事になります。
珊瑚海海戦から2カ月以上過ぎた7月に先遣の陸軍部隊が東部ニューギニアに上陸、8月にはポートモレスビー攻略作戦の主力である南海支隊(2個歩兵連隊・独立工兵連隊など)がニューギニアに上陸してポートモレスビーを目指しますが、4000メートルもの高さがあるオーエンスタンレー山脈を登る困難さに、ガダルカナル攻防戦の開始で増援と補給が続かなくなり、南海支隊は退却を余儀なくされます。
これ以降、米豪の連合国軍はポートモレスビーを拠点に東部ニューギニアでの反攻に移り、日本軍にとって飢餓にも苦しむ地獄の戦いが始まります。
珊瑚海海戦の結果は大きな影響を与えた戦いだったのです。
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