1915年(大正4年)12月、北海道苫前郡苫前村三毛別(さんけべつ)(現・苫前町三渓)。この地で、女性や子供ばかり、実に7人もの人間が犠牲になる事件が発生する。
その犯人は北の大地の圧倒的な覇者、巨大なヒグマだった。
事の始まり
日本海に面する苫前の地の中でもやや内陸にあった三毛別。その中でもさらに奥に位置する六線沢と呼ばていた小さな集落があった。
11月のある日、開拓者、池田富蔵は物音と、馬の暴れる音や激しく壁を打つ音が聞いた。
「尋常ではない」、そう感じた池田が確認のため外に出ると、軒下に吊るされたとうもろこしが荒らされている。
「きっとヒグマの仕業だろう」と池田はやや悠長に考えていた。
ヒグマの出没はこの地で決して珍しいものではない。しかし、地面に残された足跡を見て驚愕する。
そこに残されていたのは、今まで見たこともない大きさの足跡だったのだ。
その数週間後、再び馬のいななきを聞いた池田は急いで外に出たものの、すでに目当てのヒグマの姿はない。
さすがに危機感を募らせた池田はマタギ2人にヒグマの駆除を頼むことにした。
銃を片手に池田の家で張り込んでいたマタギらは、夜闇の中で巨大なヒグマが家の軒下に吊るされたとうもろこしを狙っているところを発見する。
そのあまりの巨大さに、冷静さを欠いたマタギの1人がヒグマめがけて発砲するも、弾を外してしまう。
銃声に驚いたヒグマは急いで近くの林の中に駆けて行ってしまった。
ヒグマの逃げた先には、血の跡が点々と連なっている。
仕留めそこなったものの手負いにはさせた、今度こそ撃ち取る。
夜明けを待ってマタギらに池田、彼の息子を加えた4人で血の跡を辿るものの、途中地吹雪にあい、追跡を断念する。
撃退と油断
手負いのヒグマ、もしかしたら負った傷が致命傷となって死んだのではないかという楽観的な考えもあったし、当時北海道開拓民の間で多かった馬の被害がなかったことも、「追い返せたならよし」と油断した理由としてあるのかもしれない。
それ以来、池田の家にヒグマが来ることはなくなった。
しかし、彼らはこの場でヒグマを仕留められなかったことをきっと後悔したに違いない。
この事件はこれから始まる惨劇の序章にすぎなっかたのだから。第1の事件・最初の太田家襲撃
ヒグマを捕り逃してから10日ほどがたった12月9日。この日、男性陣は総出で作業に出ており、集落には女性と子供ばかりが残っていた。
太田家もその一つで太田三郎の内妻、マユと知人宅から預かっていた6歳の子ども、蓮見幹雄が主人の留守を預かっていた。
太田家にはもう一人、寄宿人の男性がおり、彼はその日集落の男性陣とは別行動で山に入っていた。
その寄宿人が昼食のために太田家に戻ってくると、いつもなら幹雄の声が騒がしい家の中は静まりかえっている。
不思議に思いつつ家に入ると、囲炉裏のそばで幹雄が座り込んでいた。
彼が幹雄に声をかけるも返事はない。それもそのはず。今朝まで元気だったはずの幹雄は死んでいたのだ。
のどを抉られ、頭には穴が開き、おびただしい血が固まっていた。寄宿人は驚きとともに震えが止まらなくなった。
そしてはじかれたように、もう一人家にいるはずのマユの名を叫ぶがこちらも返事もなければ家の中に姿もない。
寄宿人はこの不気味な状況を急いで男性陣に知らせに走った。
集落の者たちが太田家に集まり状況を調べたところ、居間には薪が散乱し、柄が折れて血の手形がついたマサカリが落ちていたうえに、巨大な獣の足跡が残されていた。
幹雄の遺体の様子から見ても、ヒグマが2人に危害を加えたことは明白だった。家の中に残された大量の血痕から、マユが激しく抵抗しことも見て取れる。
しかもどうやらマユはこの家の中で体の一部を食われたらしく、ヒグマが出ていったと思われる窓には彼女の頭髪が絡みついていた。
ヒグマの足跡はその窓から林に向かって続いている。そいつはマユを連れ去り、なお生きているのだ。
開拓者たちは恐怖を覚えるとともにさぞ愕然としただろう。
人間のうまみを覚えた巨大な森の覇者ヒグマが、今も自分たちのことを見ているかもしれないのだ。
夜明けまで
この時点ですでに午後3時を回っている。
北海道の12月ともなればすでに日暮れ前、ヒグマを追って相手のテリトリーである林の中に入るには遅すぎる時間だ。
集まった開拓民たちは夜明けを待つまでの間、対策を話し合った。
まずはこの凶報を周辺の集落や駐在所や役場に伝えなくてはならない。
しかし通信手段などもちろんなく、雪深い道のりを人力で伝えに行かなくてはならないが、人食いヒグマのいる長い雪道を誰が1人伝令係などしたいと思うだろうか。
そんな役目、立候補する者などいるはずもなく、くじ引きの結果、中川という男が選ばれた。
中川もまったく気が進まず、結果に抵抗する。
そこで家族を安全な場所に避難させることを条件に役目を交代してくれたのが、斉藤という気のいい男だった。
しかしこれは斉藤にとっての悲劇のターニングポイントとなることを、この時誰も知る由はなかった。
一方翌日12月10日、捜索隊も結成され朝から連れ去られたマユの行方を追った。
捜索を開始してすぐ、太田家から150mほど進んだ林の中で、突然大きなヒグマが飛び出してきた。
突然の遭遇に捜索隊は慌てて銃を構え、発砲を試みたものの、持っていた5丁の銃のうち発射できたのはわずか1丁。
それすらも外れてしまい、またもヒグマを捕り逃してしまった。
その後、ヒグマが立ち去った付近を捜索すると、トドマツの木の根元に埋められ、すでに事切れたマユが発見された。
その遺体はひざ下の足と頭部のみを残して食害されており、見るも無残な姿だっという。
ヒグマの生態
そもそもヒグマとはどういった生き物なのであろうか。ヒグマは日本では北海道にのみ生息する国内最大の陸上動物だ。
大きさは概ねオスなら体長約2m、体重は120~250㎏ほどとされているが、個体差が大きく、過去には520㎏にもなる個体が記録されたこともある。
その巨体を維持するための食事内容も多岐にわたる、つまり雑食なのだ。
ヒグマの習性
森に自生するフキやセリ科の植物、ドングリやクルミなどの木の実にヤマブドウなどの果実をそれらが採れる季節に大量に食べる。人間の2倍以上の巨体を満たすためにはやはり大量のエサの摂取が必要で、山でこれらの植物の実りがよくないと、人間の住むエリアまで出てきて農作物に手を出したりもする。
植物以外にも、ある意味我々のイメージ通りサケやマスなどの魚類(捕食機会はそう多くはない)や昆虫、エゾシカなどの哺乳類、そしてそれらの屍肉も食べる。
では、捕食対象として人間はどうであろうか。ヒグマは別段積極的に人間を捕食するわけではない。
人間を捕食するに至る過程は、下記のように考えられている。
- 急な遭遇、なわばりに人間が入ったなどの理由により、敵として人間を威嚇・攻撃
- 攻撃中または攻撃後に人間が食べられるものだと認識
- 人肉の味を覚え、わざわざ人間を捕食したいと考えて積極的に攻撃する
ヒグマにとっても人間はそこそこ大きな未知なる生き物である。積極的に人間を食べるに至るにはそれなりの理由があるのだ。また、ヒグマの食性の特徴として、仕留めた獲物を埋めるという習性がある。
食べきれない獲物は地中に埋めておき、後から食べるのだ。
執着心と冬眠
ヒグマはとても賢い生き物で霊長類とイヌの間くらいの知能があるという研究もあり、身体能力については人間をはるかに凌ぐ。優れた嗅覚や知能で、後から自分の獲物を掘り出すくらいのことはわけなくできるのだ。
また、食性以外のヒグマの生態の中で注目したいポイントが2つある。
それは執着心と冬眠だ。
ヒグマはエサをはじめとする自身の所有物に対する執着心がとても強い生き物だ。自らの所有物だと認識したものが奪われそうになると威嚇や攻撃を仕掛けてきたりする。
また、自分の気に入ったエサのことをよく覚えていて、それを好んで採集、狩猟して食べることもわかっている。
そしてなんと言っても、ヒグマの最もよく知られている特徴は冬眠だろう。
エサを確保しにくくなる冬に向けて秋に食いだめをし、12月頃から3月頃まで冬眠に入る。
しかし、まれに秋の間に十分な食物を確保できなかったり、冬眠用の穴を見つけ確保できなかったりといった理由で冬眠し損ね、空腹から気性が荒くなる個体がでることもあるのだそうだ。
そういったヒグマを「穴持たず」と呼ぶことがある。
ヒグマと三毛別
以上のヒグマの生態を鑑みながら今回の三毛別ヒグマ事件について考えてみよう。
事件の起こった12月は本来であれば、とっくにヒグマが冬眠していてもおかしくない時期だ。
にもかかわらず、この事件のヒグマは真冬に人間の住む集落周辺をうろついている。
先に説明した冬眠し損ねたヒグマ、“穴持たず”となってしまったと推察できる。
冬眠しない以上、生きるためには何かを食べなけれならない。
エサに乏しい冬の森の中で、家の軒先に吊るされたとうもろこしはさぞかし魅力的なごちそうに見えたことだろう。
そんなごちそうを前に何度も人間に追い立てられ苛立ち、さらに気性が荒くなっていたとも考えられる。
そして第1の事件により、このヒグマは人間の肉の味を覚えた。
さらに言うなら人間の中でも、力も弱く抵抗が難しい女子供の肉を味わい、その旨みを理解してしまったのだ。
この時をもって、ヒグマはこの集落が自らの狩場であり、獲物であると認識した。
そして集落はさらなる恐怖に包まれることになる。
第2の事件・2度目の太田家襲撃
12月10日夜、マユと幹雄、2人の遺体は太田家に安置され通夜が執り行われた。
今だ集落周辺をうろついているかもしれないヒグマを恐れ、太田家の者や別の村から悲報を受けて駆け付けた幹雄の両親しか集まらないという寂しい通夜である。
愛する内妻やまだ幼い少年との突然の別れに、残された者が悲しみにくれる中、午後8時半頃、夜の静寂を割き、家の壁を破ってヒグマが襲い掛かってきた。
そう、大事に埋めておいたはずの自らの獲物を取り返しにきたのだ。
ヒグマは安置されていた棺桶をひっくり返し、マユを食べようとする。家の中は突然のヒグマの来襲に阿鼻叫喚となった。
急いで便所に隠れる者、妻を踏み台に梁へと登る者、皆とにかく必死に人食いヒグマから逃れようとした。
そんな中、参列者の1人が護身のために持ち込んだ銃をヒグマ目掛けて放った。
驚いたヒグマはすぐに逃走。
集落の別の家に集まっていた男性陣もすぐに駆け付け、幸いにも死者、ケガ人を出すことなくヒグマを追い払うことに成功したのだ。九死に一生を得た太田家に集まった者たちはさぞかしほっとしたことだろう。
しかし、ここでヒグマを捕り逃し、集落の多くの男手がこの家に集まってしまったことが、さらなる被害を生む一因となってしまう。
第3の事件・明景家襲撃
太田家から500mほど離れた明景家には、女性や子供ら10人が避難していた。
男性は太田家の寄宿人1人のみで、女性は明景家当主の妻、ヤヨと最初の太田家襲撃の後、駐在所や役場への伝令係となった斉藤の妻のタケの2人、あとは皆、年端もいかない明景家と斉藤家の子どもたちであった。
恐ろしい人食いヒグマに怯えながら、クマは火を恐れると信じて必死に火を焚きながら夜食の準備をしていた。
そんな女子供ばかりの家に、午後9時頃、太田家襲撃からわずか30分程しかたっていないにも関わらず、窓を破ってヒグマが侵入してきたのだ。
明景家と絶叫
明景家に絶叫が轟く。クマ除けの焚火はあっけなくヒグマによってかき消され、家の中は暗闇と化した。
1歳の赤子を背負い、8歳の次男と共に逃げようとしたヤヨは足がもつれ転んでしまう。
これをヒグマは見逃さず、背負われたままの赤子に噛みついた。
さらには転んだヤヨに乗りかかり、ヤヨの頭や顔に思い切り噛み付いた。
ヒグマはそばにいた次男にも噛み付こうとするが、家にいた唯一の男性である太田家の寄宿人が外に逃げ出そうとしているのを発見。ヤヨ親子からこの寄宿人に標的を変更する。
自分の領域から絶対に獲物を逃がさない、凄まじい執念を感じる行動だ。
ヤヨはこの隙をついて子どもたちと共に3人で逃げることに成功した。
ヒグマは猛烈な勢いで寄宿人に襲い掛かった。
寄宿人は咄嗟に物陰に隠れたものの、ヒグマにあっけなく見つかり腰のあたりを噛み付かれる。
尻から右股にかけての肉を抉り取られたのだ。あまりの痛みに絶叫が響いた。
この声にひるんだのか、それとも逃げ出した獲物を傷つけて満足したのか、痛みに苦しむ男を捨て置き、ヒグマは泣き叫ぶ女子供たちのいる居間へと戻る。
ヒグマは続けざまに明景家三男の金蔵・3歳を殴殺。さらに斉藤家三男の巌・6歳、四男春義・3歳を襲った。
春義は即死だった。
ヒグマに慈悲はない
物陰に身を潜めいていた母、タケは息子たちの悲鳴を聞いて思わず顔を出してしまった。
助かるためには心を鬼にして息を殺しているべきだったが、我が子の慟哭を耳にしてじっとしているというのもまた地獄だろう。
慈悲のないヒグマはこれをを見逃さない。物陰からタケを居間の中央へと引きずりだし、襲い掛かった。
当時、タケは妊娠中であった。
ヒグマはそのことを獣の勘でわかっていたのか、あろうことか胎児の宿るタケの腹部に鋭い爪を立てたのだ。
「腹破らんでくれ!喉食って殺して」
タケはあらん限りの力をふり絞ってまだ見ぬ自身の子の命を乞うたが、ヒグマ相手に通じるわけもない。
胎児は為すすべなく、母の腹から乱暴に掻き出されてしまった。
さらにヒグマは子どもの命を乞うタケの上半身を無情にも食い始めたのである。
タケを貪り終わると、飽くことなく続いて金蔵、厳をも食い始めた。
食われ始めた時、金蔵はすでに事切れていたものの、厳は生きたままヒグマの餌食となっていた。
一方、太田家にいた男達は明景家での悲鳴を聞きつけて現場に急行。
すぐに明景家を包囲した。
ヤヨと子ども2人、寄宿人は命からがら戸外へ逃げ出して保護されたものの、まだ中には6人の女子供が取り残されている。
しかし取り囲んだ者たちは暗闇の中に沈む家の中で、残されている6人とヒグマの位置関係が掴めず、手を出すことができない。
為す術なく
男達は家の中から響く悲鳴、呻き声、肉が食いちぎられ、骨がかみ砕かれる音のみが聞こえる不気味な状況を前にして為す術なく立ち尽くすしかできなかったのだ。
やがて人の声は消え、ヒグマが歩き回り、家の中を物色する音のみが聞こえるようになった。
中の惨状を覚悟した男達は玄関と裏手の二手に分かれ、銃を構える。
裏手に回ったマタギが威嚇のため、空へ向けて銃を2発放った。
銃声に驚いたヒグマは玄関から転がり飛び出してきた。
待ち構えていた男達はすぐさま銃を構えたものの、またもやヒグマを仕留めることはできず、悪魔は再び林の中へと戻っていった。
明景家に足を踏み入れると、そこはまさに地獄だった。室内は血の海で、血しぶきは天井まで飛んでいた。
家の中では、米俵の陰に身を隠していた明景家の長男・8歳と失神していた長女・6歳が奇跡的に無傷で救出された。
子供たちに襲いかかった圧倒的な暴力と、暗闇の中すぐそこに迫った死の恐怖は想像を絶するものだっただろう。
生きたまま食われた巌は、男たちが家の中に突入した際、まだ息があった。
すぐに手当を受けたものの、「おっかあ!クマとってけれ!」と既にこの世にない母に助けを求めて泣き叫びながら手当の甲斐なく約20分後に死亡。タケから引き摺り出された胎児も救出時、まだ息があったがしばらくして亡くなった。
明景家で亡くなったのは、女性1人、子供4人(うち1人は胎児)。
もはやこの人食いヒグマを狩るのに一刻の猶予も許されない状況だった。
解決・考察編に続く
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