クリスマスもうすぐ来たれり。
お子さんのいる家庭では、サンタクロース詐欺をするのかしないのか、いつまで続けるのか、夫婦の価値観のすりあわせに苦慮している事だろう。
サンタとディズニーの実在を信じ込ませると、子供は夢溢れる優しい子に育つとの通説がある。あまり言語化されていないが、割とそんな風ではないか?
子供の夢は文化の下地になるもの
私としては、サンタクロースの嘘は、リアルに寄り過ぎていて夢見る心を育てるには向かないのではないかと思う。
畢竟、これは教育や何かではなく、幼い子供の愚かさ(=可愛さ)を愛でるための、親の娯楽だ。
子供の夢は、もう少し土着的、アニミズム的な視点で育まれるものだ。季節の移り変わりに人ならざる意思を感じたり、炎の動きや水の流れに生命を見出したり、自分自身の鼓動に他力を感じるのでも良い。その素朴な視点から作られる世界観は、科学的事実にかすりもしない、畏敬と想像力に満ちた摩訶不思議なものになる可能性がある。それは、古代の人々と共通した感覚であり、人間文化の一翼を担っていたものだ。
科学知識は大事だが、この原初的な感覚も持たねば、文化を理解する心が育たない。
この感覚の構築が重要なのであって、アマゾンでオモチャを買ってくれる架空の人物が夜中に来たとか来ないとか、そういう事とは経験の次元が異なる。
実在サンタクロース
ようやく本題に入るのだが・・・サンタクロースは「実在する」。
ここで言うサンタクロースとは、ミラの聖ニコラオスの事でも、フィンランドの大柄な人でもない。
赤服を着てホーホー言い、あなたの子供の手におもちゃを持たせる、愛溢れるちょっとお茶目な存在の事だ。
まず、子供が信じるサンタクロースとは何ものだろうか。
クリスマスの朝までに枕元にプレゼントをデリバリーする存在の事であろうか?
答えは否、と言わざるを得ない。
この手法は、子供が良い子で寝ていなければ成り立たない。良い子ではない場合、サンタを目撃すべく、見張っていたり、スマホを仕込んでいる場合もある。そんな時、プレゼントは廊下にあったり、パパママに預けられていたりもする。そして親以外の手から、プレゼントを貰う事もある。
児童養護施設ならどうだろう。
そもそも、恋人からのプレゼントに、サンタクロースは関わっているのか。
逆サン
この話は逆の視点で考えた瞬間に結論に至る。すなわち、サンタクロースがいなかった場合を考えれば良いのだ。
クリスマスは、ケーキと丸焼きを食べる日になる。寿司やケンタッキーにプディングかも知れないが、そこは誤差だ。
キリストの生誕を祝う楽しいパーティーだ。実際の誕生日が云々言う陰キャには、シャンパンの栓でも飛んでいけ。
そしてパーティーは終わる。
誰がプレゼントをくれるだろうか?
誰もくれはしない!
サンタクロースを省くだけで、誰もがプレゼントをくれなくなるのだ。
サンタクロースは存在している
お分かり頂けただろうか?
サンタクロースは存在している。
間違いなく、子供やそれに類する愛する人にオモチャを与えているのだ。
子供は嘘に敏感だ。
本当は鈍感だが、大人が思うよりは敏感だ。
下手な小細工はいらない。
「サンタクロースっているの?」
と問われれば、ただただ答えれば良いのだ。
「もちろんいるさ」
・・・・と。
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