イギリス特殊部隊SAS、その誕生

イギリスの特殊部隊で有名なSAS
その戦歴は第二次世界大戦からと創設から半世紀以上と長い。
長い歴史あるSASが創設された始まりのの時を紹介します。

ディビット・スターリング

SASの生みの親はイギリス陸軍のディビット・スターリング少佐だ。
彼はパラシュート降下の訓練で大怪我をして入院中にSASの構想を発案します。

少数精鋭の部隊で敵の後方へ航空機のパラシュート降下で潜入、車輌に乗り敵の拠点を襲撃すると言うアイディアでした。
スターリングの構想が独自なのは少数の部隊と言う点でした。

例えば1942年3月に実行されたサン・ナゼール強襲作戦では600人以上の将兵が投入されました。
SASの構想で参考にした長距離砂漠挺身隊(LRDG)も300人以上です。

スターリングは英軍が特殊作戦を行うのに人数が多過ぎると疑問を持っていました。
部隊の人数、つまり規模が大きいと敵に発見されやすい危険が高いからです。
少数ならば敵に見つかり難い上に部隊を動かしやすい利点がありました。

SAS創設と挫折

Keating (Capt) No 1 Army Film & Photographic Unit / Public domain

スターリングは自分の構想を英中東軍の総司令官オーキレンク大将へ持ち込みます。

時に1941年の夏
北アフリカ戦線はロンメル率いるドイツアフリカ軍団が優勢でした。
オーキレンクはロンメルの軍団を阻止する手段に使えるならばとスターリングの構想を実行する許可を出します。

この時点ではSASではなく、「特殊航空大隊」と呼ばれていました。
部隊は5人の士官と60人の下士官・兵士で編成されるスターリングが望む小規模部隊になりました。

こうして編成されたSASの最初の出撃は1941年11月のトブルクでした。
ドイツ軍とイタリア軍に包囲されたリビアの港町トブルクを救援すべく、英軍は大規模な反撃作戦、クルセーダー作戦を開始した。

SASはこの作戦を支援するのが任務です。
しかし、強風のせいでパラシュート降下した隊員は散らばってしまい隊員の多くがドイツ軍に捕まり捕虜になってしまった。
天候のせいもありますが、スターリングが最初に設定した決行日を変えなかったせいとも言われています。

砂漠の襲撃作戦

残る20人以上で2度目の出撃をします。
今度はランドローバーと言う車輌で陸路ドイツ軍の後方へ侵入します。

ランドローバーの機動力を生かしてリビアにある3カ所のドイツ軍飛行場を襲撃して60機の機体を破壊します。
スターリングが構想した少数精鋭による攻撃は成功しました。
功績を上げた事で特殊航空大隊は1942年9月にSASと命名されされました。


葛城マサカズ
葛城マサカズ
ミリタリーの記事と架空戦記小説をネット上で書いています。

投降している架空戦記小説「日独印度大戦」
Twitter:@katuragimasaku

eyecatch source:British Official Photographer / Public domain

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