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幕末動乱期を生きた剣豪 佐々木只三郎

幕末の動乱期に幕府を支えるために生きた、佐々木只三郎の人生を紹介します。

目次

佐々木只三郎とは

幕末の剣豪である佐々木只三郎、小太刀を持たせれば無敵ともいわれたほどの凄腕の侍でした。
佐々木は、14代将軍である徳川家茂が京都への上洛の際、身辺警護である浪士組の結成に尽力し、浪士組が京都に出向くに際して、幕府の浪士取締出役として同じく幕末動乱の京都に出向きます。
幕府は混迷を極める京都に置いて、佐々木只三郎の槍や刀の非凡な才能を評価しての抜擢ではないでしょうか?

浪士組は京都で清河八郎派、近藤勇や芹沢鴨そして土方歳三らが、その目的を巡り激しく対立し、後に清河は京都を去り、江戸に帰還。
過激な思想の持主でもあった清河の存在は、幕府にとって問題となる存在であり、佐々木只三郎は幕命により清河八郎を討つ事となります。

清河は北辰一刀流の免許皆伝という剣の達人。
幕府が佐々木を選んだのは、やはり剣の腕前を評価したからではないかと考えられます。

幕末期の京都

佐々木が生きた幕末期の京都の治安は極めて不安定であり、長州藩の武士たちを中心に反幕府活動が盛んにおこなわれて
いました。
このため幕府は京都見廻組を結成します。
非常に緊張する役職ですが、幕府は佐々木に京都見廻組の一員になるように命じます。

同じく京都の治安維持を図る会津藩預かりの新選組とは違い、幕府の組織として動いた京都見廻組。
只三郎はついに京都見廻組の責任者である見廻組与頭に就任し、見廻組を動かしていく存在となっていきます。

しかし幕府と佐々木只三郎の運命を急変させる出来事が起きるのでした。
1866年に土佐の坂本龍馬の仲介により薩長同盟。
江戸幕府に対抗しうる薩摩藩と長州藩の同盟は、幕府さらには只三郎の運命に大きく影響を及ぼします。
幕府は薩長同盟の締結により、第2次長州征伐に失敗し幕府の権威は衰えていくのでした。

佐々木只三郎 最大の謎とは

佐々木只三郎の最大の謎、土佐の坂本龍馬の近江屋で斬ったのではないかという話です。
この話は元京都見廻組の隊士の話から今日まで伝わったもので、確証となるものは今でも発見されていません。

さてこれほどの話が今でも残る、剣豪の佐々木只三郎は幕府の一員として、1868年に起きた鳥羽伏見の戦いに出陣します。
新選組たちと共に戦いに挑んだ佐々木只三郎でしたが、時代は既に近代戦の時代。
只三郎は腰に銃弾を受けて負傷し、数日後にその波乱に満ちた人生を閉じてしまいます。

坂本龍馬の事に関して、佐々木只三郎本人から聞く事がもはやできないため永遠の謎でもありますが、ひたすら幕府側の剣の達人として、敵対する勢力からは特に恐れられた存在ではあったと考えます。

※画像はイメージです。

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