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東日本大震災で少女を救った!自衛隊の叔父の話

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叔父は自衛隊です。現在も自衛隊として頑張っています。
そんな垢らしい叔父ですが、東日本大震災のときに被災地である少女と出会ったときの話をします。

目次

東日本大震災の時

地震が起き、津波が来て、被災地は滅茶苦茶な状態となっておりました。津波がひいたあとは、何も残っていませんでした。
はじめにその現場を見た瞬間、叔父ら自衛隊は、自分達にできることはあるのだろうかと思ったほどです。
しかし、そうも言ってられない自衛隊は日々沢山の人々を救助し、多くの命を繋いでいきました。

そんな時、叔父は1人の少女と出会います。
少女は建物の下敷きになっておりましたが、なんとか救助でき、一命を取り留めたのです。
しかし、少女の両親とお兄さんは救うことができませんでした。

救う事が出来なかった

叔父は少女以外の家族を救うことができなかったことを悔いました。
少女を1人にしてしまったことに申し訳ない気持ちでいっぱいだったといいます。

それから少しして、被災地の状況も一定の混乱は収まってきた頃、叔父は気になっていた少女の元へと行く機会ができました。
少女は災害時に追った傷の治療で入院中、そして、少女は家族の全員が助からなかったことをすでに知っています。

叔父はそばに親戚らに挨拶を済まし、少女と話すことになりました。
叔父は何を話せば良いかわからなくなってしまった所、少女から話してきます。
少女はまっすぐとした目で私に、助けてくれてありがとう。
私の一生の恩人です。
家族のことも全力で助けてくれてありがとう。
私はこれからも家族の分まで精一杯生きていきます。
そして、自衛隊さんたちに繋げてもらった命を大切にして生きていきます。と言ってくれました。
叔父はその時涙が止まらず周りの目も気にせず、ひたすら泣いていたそうです。

叔父の支え

その少女の強さ、人としての素晴らしさ、その裏で抱えている悲しみ、全てが伝わってきたといいます。
少女からは今でも時々手紙が届くそうで、叔父はその手紙をかてに、日々訓練し、もしもの際には1人でも多くの人を救いたいと頑張っているそうです。

※画像はイメージです。

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