第二次世界大戦における独ソ戦で大戦車戦と呼んで有名なのがクルスクの戦いです。
この戦いの勝敗はどこにあったのでしょう。
東部戦線の突出部
ロシアの東部戦線におけるドイツ軍とソ連軍の最前線に1943年春から大きくドイツ軍側へ飛び出したクルスク突出部ができていました。
ドイツ軍にとっては前線に食い込み脅威と見える一方で、突き出ているからこそ三方から攻める事ができるとも見えます。
この突出部ができたのは1943年2月に起きた第三次ハリコフ攻防戦でドイツ軍がハリコフを奪還し、攻めるソ連軍を追い返した事によってだった。
ドイツ軍はソ連軍を敗退させましたが限界が生じ作戦が続けられなくなりました。
クルスク突出部はこうして固まる事になった。
投じられた戦力
ソ連軍は情報収集によりドイツ軍がクルスクを攻めようとしているのは分かっていました。
ゲオルギー・ジューコフ元帥らソ連軍の首脳部はスターリン書記長へ攻めるドイツ軍に対抗してまずは防衛に徹してから反撃すると言う方針を提案します。
スターリンは積極的な攻撃に出るべきと主張しますがジューコフら軍の意見を認めた。
こうしてソ連軍はクルスクでの防衛を強化する事になります。ロコソフスキー上級大将の中央方面軍とヴァトゥーチン上級大将のヴォロネジ方面軍がクルスクに置かれ戦力は130万の将兵と3000両以上の戦闘車輌がありました。
これだけではなく、予備戦力としてステップ方面軍(ステップ軍管区)が編成されました。
これに対してドイツ軍はクルーゲ元帥の中央軍集団とマインシュタイン元帥の南方軍集団合わせて将兵90万と2700両の戦車や自走砲をクルスクの攻撃に投入します。
勝敗を分けたのは?
クルスクを攻撃するドイツ軍の城塞作戦が発動されたのは7月です。
ドイツ軍は5月に城塞作戦を予定していましたが、その5月に北アフリカの枢軸軍が降伏してイタリアが危うくなったとしてヒトラーが作戦延期を決定してしまいます。
そして7月に作戦開始となりました。
ソ連軍は多くの兵力だけではなく、大量の対戦車砲や地雷で固めた陣地を要塞の如くクルスクに作り上げていました。
そこへドイツ軍は突入し戦力を消耗してしまいます。ソ連軍は予備兵力であるステップ方面軍による反撃でドイツ軍の攻勢を完全に砕きます。
情報収集と戦力の集中がソ連軍の勝因と言えますが、決定的なのは独裁者スターリンに対してジューコフら将軍達が軍の方針を貫き通した事かもしれません。
もしもソ連軍がスターリンの主張通りに攻勢に出てドイツ軍が迎え撃つ側になっていたらクルスクの戦いや東部戦線の様相は違っていたでしょう。
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