太平洋戦争末期の食糧確保は脱法行為?!

戦争末期、極端な食糧不足の状況下、人々はあの手この手で食料の確保に奔走したそうです。
父も食糧を得る為に、なりふり構わず脱法行為をしていたみたい。
で当時の軍相手だし、70年以上前の話だし、もう時効ですよね。

すいとんの思い出

子供の頃、母が時々「すいとん」なるものを作って食べさせてくれました。
それは、メリケン粉を硬めに水で溶いて、うどん出汁に放り込んで煮た食べ物です。
要するにうどん麺の代わりに練りメリケン粉が入っているという代物で、勿論大して美味しいものではありません。

それでも当時では貴重な食べ物だったと、母は話していました。
母に限らず食べ物の苦労は誰もが味わっていました。
配給制になった食べ物は、当然のこと好きなだけ入手できるものではありません。それどころか必要な量さえ確保し難かったのです。

父の大冒険?

そんな食糧事情の中、父が話してくれた食料確保の面白い経験があります。

工業高校(当時は中学校)中退?の父は、電気工としてその頃既に働いていました。
電気工ですから壁上部や天上など配線のある場所に登ったり潜ったりの仕事です。

そして仕事の依頼は軍の部隊からもありました。
ある時、配線修理の為に軍の食糧倉庫に入った父は、小さな天窓から侵入できるのに気が付きました。
早速その日の深夜、同僚と二人で忍び込みました。

そこで起きた問題!

問題は盗品の搬出でした。
天窓は人がやっと通れる大きさしかなく、天井と床の昇り降りも大変なのでリュックなどは使えません。

そこで考えたのがズボンの脚部分に溜める方法です。
その頃の作業服はズボンの裾をゲートルで巻いて絞ってあります。だからポケットを破いてそこに豆や米を流し込むのです。

まんまと窃盗は成功し、帰宅して広げた新聞紙の上に立ってゲートルを解くと、ザーッと盗品が流れ出しました。

何度目かの時の事件

See page for author [Public domain], via Wikimedia Commons
味を占めて何回か決行しましたが、ある日、倉庫の大扉がガラガラと開いて兵隊たちが入って来たのです。

父たちはドンゴロス(米や豆を詰め込んだ麻布の袋)の間に身を隠して息を潜めます。
見つかれば死ぬほど恐ろしい憲兵行です。生きた心地がしなかったそうです。

あまりの怖さで以後の窃盗はできなくなりました。
でもそれほどに当時の食糧確保は大変だったという逸話でした。


歴史大好き爺さん
歴史大好き爺さんです。
平洋戦争の終戦って、私が生まれるほんの10年前なんです。
これに気付いた時、太平洋戦争は単なる歴史ではないと思いました。

※画像はイメージです。

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