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今、夷は中国なのか、日本なのか?

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現代の「夷」は何なのでしょう?

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征夷大将軍

西暦794年、大伴弟麻呂(おとまろ)が初代征夷大将軍に任じられ、その後の坂上田村麻呂が有名です。
この時代まだ奈良朝廷の力が十分に及んでいない東日本に住み、中央政権に服さない人々は蝦夷(えみし)と呼ばれていました。
この蝦夷を征伐する、つまり「夷を征する」軍隊の最高司令官の役職名だから、征夷大将軍と称されました。

時代が下がって東北地方や九州を含めて、日本全体が中央政権の支配下に入ると、これら武力制圧に貢献した武家が勢力を持ち始めました。
やがてその武家全体の棟梁に、朝廷がこの役職に任命して国の統治を代行させるようになります。

「夷」とは

夷という漢字の由来は、糸を結び付けた矢を表す、中国の甲骨文字だと謂われています。
狩りをする時、獲物や外れた矢を回収し易くするための工夫で、古代中国の周囲の辺境地に暮らす人々が使っていたとされています。

後に転じて未開の人々を表すようになりました。古代中国の中央政権が強大化すると中華思想が始まり、世界の中心である中華文化を今だ受け入れない周囲の低文化地域を、北狄(ほくい)・南蛮・西戎(せいじゅう)・東夷とし、日本は東夷に含まれていました。
そしてこれら地域は将来的に、いずれは中国に服属すべきだと考えられていました。

尊王攘夷

幕末の日本を大きく動かした思想的原動力は攘夷でした。
攘夷は夷を追い払うという意味ですが、特に朝廷内部では外国人は穢れた蛮人という思想が強く、彼らの生理的嫌悪感から見ると、正に外国人は夷そのものだったでしょう。

多くの武士など攘夷派の人間も大同小異だったと思われます。
しかし外国国力の強大さが認知されるに従って、夷は巨大な征服者のイメージに変化したに違いありません。

現代の夷は?

新中華思想を現代に再現するかのような、巨大化した中華人民共和国の言動。
そんな中国からの強い外圧に今の日本は晒されています。

中国は日本を現代の東夷と見做しているのかもしれません。
この状況を翻って日本から見ると、果たして日本は攘夷を果たすことができるのでしょうか?

歴史大好きじいさんです。
一つの漢字には、大きな意味の含まれていることがあります。

※画像はイメージです。

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