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呑んだくれの祖父に出会わなければ幸せだった

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この話は、祖母が中学生で長崎県の原爆が落ちた頃から、話しは始まります。

私の祖母は長崎県生まれの長崎育ち、ちょうど戦争真っ只中で、たまたま原爆が落とされた場所から、かなり遠くで父親の仕事の手伝いをしていて、命をそれで免れたとか、それにキノコ雲も見てる事で原爆手帳とかも発行され、治療費なんてほとんど払わなくて生きてきたそうです。

でその原爆落下した時の状況を話すと同時に、決まって私の祖父との話しになるんです、祖父は原爆が落とされた時は戦争には行ってなかったんです、実はぼっちゃんで甘やかされ育ったせいか、酒ばかり飲んで身体を壊していて肝臓だか心臓だかが、かなり悪かったみたいです。

その為に病気と診断されて、戦争には行ってないんですね。そんな祖父と出会って私の母やら兄妹が生まれて、幸せだったかと言うと・・・そうじゃなかったらしく、子供がいる時でもお酒は辞められないし、祖母には暴力を振るったりと、とんでもなかったみたいです。

だから祖母は「あがん男、戦争に行って死ねば良かったんだよ、あの男と出会ってなきゃもっと幸せな人生だったはず」だとか、まして母達が祖父に似ているせいか、祖母も母達にかなり冷たかったみたいですし、そんな勝手な事をしょっちゅう話してました。

子供達の気持ちなんて考えない祖母はそんな状況を嫌だったからか、子供達と祖父を残し、自分だけ家出してそれから数年間帰ってこなくなり、その時が一番母の記憶の中で祖母と祖父に対して恨みが強かったと話しますね、なんか可愛そうで仕方なかったです。

そんな勝手な祖母も結局は介護が必要な年齢になって、結局生きて行くのに子供達の力は必要になり、あれだけ文句ばかり言う祖母でしたが、最後にはあんた達が居たから生きて来れたって言うようになり、何はともあれ嫌だった祖父と出会ってなきゃ、子供や孫にも恵まれなかったでしょって私達は話します。

祖父は何年か前に心臓が急に止まり別居していた住宅で亡くなったんです、ずっと別居して生活してたから1人寂しかったんじゃ?って祖母に話せば、私の知った事じゃないよ、あんた達が逢いに行けば良かったやろって、最後まで夫婦理解し合う事も無く、祖母も一昨年に亡くなりました、本当人生色々過ぎてびっくりします。

※写真はイメージです

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