昔話に花を咲かせていた際、当時遊んでいたテレビゲームに『シャーマン』というキャラクターがいたのを思い出した。
部族の衣装と面をつけてひょうきんに踊るキャラを見てシャーマンに対しザックリしたイメージを抱いていたが、詳しく整理すれば各国の類似する存在や宗教観との関り、そしてそれらの比較ができるのではと思い立ったので紙面を広げてみる。
シャーマンとシャーマニズムとは
比較に入る前に本編の基礎であり核の部分を押さえていく。
シャーマンとはその土地で信じられている神や妖精、その他霊的な存在と意思疎通や交信を行う能力を持った職者であり、シャーマニズムとはそのシャーマンを中心に添えた民間信仰の一つである。
土地に根付く信仰の数だけシャーマンの様相も数がある。
声を聞く、姿を見る、自らの魂だけを霊的存在の元へ飛ばす、存在そのものを自らの身体に憑依させる・・・など、儀式の手順や効果は各々違いがあるが、彼らシャーマンの目的は『信仰対象である霊的存在と自分たち現世の人間の橋渡し』である。
前章の通り筆者はゲーム…創作物の影響により「シャーマン=国外の部族で踊ったり儀式をする人」というイメージを抱いていたわけだが、この解像度がいかに「掠ってるけど全体的に雑」であるかがわかる。
シャーマンが霊的存在と交信するにあたって、『トランス』という特殊な心理状態に関する言及もあるが紙面の関係上今回は割愛する。
各国のシャーマン
『シャーマン』という言葉は中国の東北部から南シベリアにかけての言語であるツングース語が語源で、そこからヨーロッパや各国に広まっていった。日本を含むアジア、果ては南アフリカまでシャーマンという職者は存在する。
南アフリカでは『サンゴマ』という存在がこれにあたる。失せ物探しや体調不良などの相談を受けたサンゴマは先祖の霊などと交信をして相談者の問題を解決に導くのだそうだ。南アフリカの国教はキリスト教であるが、サンゴマはキリスト教とは別に信仰を集めているという、宗教観的に中々珍しい存在である。
中国や韓国にもシャーマンは存在する。満州族には古くから神を身体に降ろす『大神(香堂)』と降りた神と意思疎通を図る『二神』という二人で一対のシャーマンの記録があり、朝鮮半島には『ムダン』と呼ばれる祈祷師が祭儀を行い神からお告げを賜るという。
無論、日本にもそういった存在は各地におり、いわゆる『巫女』といえばイメージは湧きやすいかもしれない。巫女とは別に、青森恐山の『イタコ』や北海道アイヌの『トゥスクル』、沖縄琉球の『ユタ』など、いずれもその身に現地神や先祖霊を降ろし交信を試みる職者である。
シャーマニズムとコミュニティにおける統治者の関係
以前別紙に、人間の犯した罪の所在を神に問う『神明裁判』についてまとめたのを覚えているだろうか。神明裁判は人間が有罪無罪を決めるための判断材料が不足した際に「神が決め下した裁きには誰も文句を言うまい」という精神で行われていた。また歴史の文献には特定の人間が神の代理を務め神の意思の元政治を行っていく『神聖政治(神権政治)』も記録されている。エジプトの太陽神の化身として扱われたファラオや、神懸かりという儀式を行い神より賜ったお告げを伝え国を治めていた邪馬台国の卑弥呼も神の代理を務めた統治者だったといえる。
このように、神への信仰心が根付くコミュニティにおいて『神の意向』とは誰もが納得をし、せざるを得ないほどの確固たる権限と施行力を持っているといえる。そしてその神の意向を民に伝える役であるシャーマンも、コミュニティで中心に据えられ「神の代弁者」として神同等ではないが信者をまとめるに必要な権限を与えられていたのだと推測できる。
大概が世襲制のシャーマンは元々希少な存在だが、現在もシャーマンと呼ばれる存在は各国で確認できる。今回は歴史の方に目を向け比較しつつ紙面を埋めたが、現在のシャーマンが世間からどのような解釈を受け、どのような形で現代社会と関わり、どの国のシャーマンにも共通する『霊的存在と人間の橋渡し』という役目を担っているか。その辺りを知るのも中々に興味深いと思うので気が向いたらぜひ調べてみてほしい。
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