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不運に翻弄された空母「信濃」

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戦艦「大和」型三番艦となる筈だったのがミッドウェー海戦での日本海軍の敗北から空母に改装された「信濃」
しかし改装から沈没に至るまで不運に翻弄されていた艦でした。

目次

ドックを空けよ

昭和15年(1940年)5月4日に横須賀海軍工廠第6ドックで「110号艦」もとい「信濃」は起工しました。
「大和」・「武蔵」と同じく「大和」型戦艦を建造する為に作られた大型ドックである横須賀の第6ドックで「大和」型三番艦である「信濃」が完成する筈でした。

しかし昭和16年(1941年)12月8日に太平洋戦争が勃発すると「信濃」の工事中止が決定します。
中止とは言え船体の缶室や機関室も作られていた「信濃」はドックから海へ出せるまでの工事だけ行う事になりました。

これはドックを空けて損傷艦の修理や戦局が必要とする艦艇を建造する為です。
一方で「大和」型四番艦になる予定だった「111号艦」は工事中止となり解体となりました。

呉市海事歴史科学館 [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由

空母へ改装せよ

とりあえず船体だけ作られる事になった「信濃」の運命を変えたのは昭和17年(1942年)6月のミッドウェー海戦です。
この海戦で「赤城」・「加賀」・「蒼龍」・「飛龍」の空母4隻を失い日本海軍は敗北します。

日本海軍は失った空母戦力の補充と更なる空母戦力の強化に奔走する事となります。
一時は15隻も作られる予定だった「雲龍」型空母や後部の主砲を降ろして水上機や艦上爆撃機を積む飛行甲板や格納庫を備える航空戦艦に改装された「伊勢」と「日向」と言うように空母または航空戦力を載せる艦艇を増やそうと日本海軍は躍起になります。

それは進水で工事が終わる予定の「信濃」に向けられます。
6月30日に「信濃」は空母へ改装する事が決定します。完成予定は昭和19年(1944年)12月とされた。

空母への道は遠く

「信濃」を空母として作り変える為の設計は11月に終わり改装工事が始まったのは昭和18年(1943年)2月からとなった。
しかし損傷艦の修理や空母へ改装される潜水母艦の工事などが優先され「信濃」の工事は中断されてしまった。
竣工予定も昭和20年(1945年)2月に延期となった。

マリアナ沖海戦で空母「大鳳」や「翔鶴」などが撃沈されると「信濃」への期待が大きくなり進水前の艦名の命名や短縮した工期での工事が行われるなど慌ただしくなる。
昭和19年10月5日に進水し残る工事を呉工廠で行う為に11月28日に横須賀を出港し翌日敵潜水艦により撃沈された。

戦艦として建造されても昭和20年3月竣工予定であるし空母としても当初の昭和19年12月竣工予定の「信濃」では史実通りの戦局では活躍の場は無かったかもしれない。
まさに不運の艦と言えるのかもしれません。

アイキャッチ:呉市海事歴史科学館 [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由

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