私が幼かった頃、お盆やお正月には祖父母の家を訪ね、そこで祖父が私たち孫を集めて必ずする話しがありました・・・
たくさんの親族が集まって、みんなで楽しく賑やかに食事をするのですが、孫たちが「ごちそうさま」をすると決まって祖父の「鉄板ネタ話し」が始まります。
祖父の境遇
祖父は幼い頃に両親が離婚をしたため母と別れ、それまで暮らしていた京都から父に連れられて三重県に移り住みました。
祖父はまだ小学生で母のいない寂しさもあり、一つ歳下の弟といつも一緒に行動していたそうです。
そして、時は第二次世界大戦末期。
その頃の日本は第二次世界大戦も末期を迎え、多くの地域が空襲を受け焦土と化していました。
当時三重県も「伊勢神宮」などがあることから「神都」とも言われ重要都市とされ、また志摩半島が目標になりやすかったことから、幾度もの攻撃を受けていたそうです。
キラキラと光るモノが
そして事件は、祖父がいつも通り弟と一緒に手をつないで学校からの帰路を歩いている時に起こりました。
学校では図画工作の授業があり、絵が得意だった祖父は先生に褒められた絵を皆から見えるように画板に挟み、肩からかけていたそうです。
ふと道の端を見ると、土の中に日の光を受けてとても美しく輝く物体がありました。
そこで弟と一緒に「何!?掘り起こしてみようか!」となり、足の先で土をかきわけてみました。
それでもなかなか動かないため、弟が思いきり蹴ったところ・・・・
「ドッカーーーーーーンッ!!!!!」
気が付いた時には、2人とも家に寝かされていたとのこと。
弟の胸や手足にはたくさんの包帯が巻かれていたけれど、幸い大怪我には至らず。
祖父はと言えば、足にいくつかの傷や痣があったくらいで、その程度で済んで本当に幸運だったと父(私の曽祖父)に泣かれたそうです。
ただ、祖父の自信作の絵と画板は穴だらけでボロボロになっていたとか・・・
それでもキレイだった。
祖父は「あれは多分不発弾だったんだな・・・」と言います。
私はこの話を聞くたびに「なんで爆弾なのに踏んだの?」と聞くのですが、祖父は必ずこう返事をします。
「あれは本当にキレイだった。キラキラと輝く宝石みたいだった。掘り起こして母ちゃんに贈ってあげたかった」と
※画像はイメージです
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