シベリア抑留捕虜としての思い出

語り継ぐ

私が小学生の頃、おばあちゃんから聞いた私が会ったこともない、おじいちゃんのソ連での捕虜体験です。

とにかく寒かった

私のおじいちゃんは戦争が終わった後、ソ連に連れて行かれ2年間働かされました。

食べる物も不味い黒パンが少しだけしかなく、お腹も空いて身体が痩せ細ってしまってとても辛く、食べ物を十分に食べさせてもらえないのに、きつい仕事をさせられるだけでもキツかったと言うのに加え、寒さがとても厳しかったことが何よりも苦しかったそうです。

優しかったロシア人

捕虜としてロシアに滞在している間、おじいちゃんはロシアの人から食べ物を恵んでもらったことが、何度もあったらしい。

塩を作る工場で働かされているとき、その工場で働いていたロシア人の女性から大きな黒パンをもらったり、じゃがいもの丸焼きを
もらったり、他にも宿舎が近くにある工場から外に出て街中で土建作業をしていたとき、近くを通行していたロシア人がパンやウオッカを差し入れてくれたことがあった。

日本の歌を一緒に歌を歌う

捕虜として工場で働かされている時、休憩時間にロシア人の労働者と一緒に日本の歌を歌ったことがあると言っていました。

おじいちゃんが「早く日本に帰りたい」というようなことを言うと、一緒に休憩時間を過ごしていたロシア人労働者は、おじいちゃんが早く日本に帰ることができるようにという祈りの気持ちを込めて、一緒に日本の歌を歌ってくれたそうです。

おばあちゃんに伝えたこと

おじいちゃんは、この出来事を私のおばあちゃんに語り、「日本なら外国人の捕虜を見たら罵声を浴びせたり、石を投げたりするだろうが、ロシアの人は日本人捕虜を見ても優しく接してくれる人もいたことはずっと忘れない」と伝えました。


Writing by 送りバント