第二次世界大戦中、目覚ましい活躍を見せていた最強の戦闘機「紫電改」。
その性能の高さから、日本軍最強の名をほしいままにしていた伝説の名機です。
兵器名称付与業務によって試作機が一度開発され、その経緯もあって紫電改という名になったという経緯もあります。
試作機の名称は「試製紫電改」と呼ばれ仮称紫電二一型、兵器採用に至る際に現在の「紫電改」に名付けられたという話があります。
日本海軍は紫電や紫電改といった名称のほかに紫電がJ、紫電改はJ改といった名称で呼ばれることもあったといいます。
性能についても申し分なく水上戦闘を想定していた強風をベースに開発された機体であります。一方、紫電は完成時にはF6FやF4U、P-51などの機体が多く量産されていき、実戦においても主脚のトラブルなどが相次ぎ、鈍重で乗りにくい機体とまで評され不名誉な称号を得てしまいます。
そして紫電改は、そんな不名誉な欠点を改善すべく開発されたという経緯があります。
紫電改はオーソドックスなデザインながらも下方視界も改善され、トラブルの多かった主脚部分も通常のものに改変されて戦闘機において理想的な形になりました。
開発後まもなく終戦を迎えてしまったため、生産数が少なくたった400機程度しか生産されなかったという不遇の扱いを受けますが、それだけに伝説の機体と呼ばれ今なお兵器マニアからは好かれる存在になっています。現在では現存する機体は、アメリカのペンサコーラ米海軍航空基地内の国立海軍航空博物館に21型、カ スミソニアン博物館の国立航空宇宙博物館別館とライト・パターソン空軍基地の国立アメリカ空軍博物館に21甲型、日本国内では1978年に愛媛県の久良湾から引き揚げられ展示用にレストアされた機体が、南予レクリエーション都市内の紫電改展示館で見学する事ができます。
eyecatch credit: By USAF [Public domain], via Wikimedia Commons
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