アメリカ空挺兵の死闘!バストーニュ攻防戦

歴史にまつわる話

1944年12月に始まったバルジの戦い
アメリカ軍の第101空挺師団はドイツ軍に囲まれ死闘を繰り広げました。
雪中で繰り広げられた激闘を紹介します。

バルジの戦い

第二次世界大戦が開戦から5年以上過ぎた1944年
ドイツの戦局は悪化し敗北が免れない時期に来ていました。
しかしヒトラーは大規模な反撃する場所に米英を中心とした連合国軍が居る西部戦線に選びます。

それがラインの守り作戦です。
20万の兵力でドイツ軍は連合国空軍が活動できない雪での悪天候を利用してベルギーのアルデンヌ地方に進出した米軍を攻撃します。

By Post-Work: User:W.wolny (http://www.army.mil/cmh/reference/bulge/images.htm) [Public domain], via Wikimedia Commons

第101空挺師団出動

12月16日に始まったドイツ軍の攻勢は奇襲になり前線の米軍部隊は前線を突破されて敗走します。
米軍は増援部隊を送りドイツ軍の進撃を食い止めようとします。
その増援の一つが第101空挺師団です。

パラシュートやグライダーでの空挺作戦を行う部隊で予備部隊としてフランスで待機していましたが戦線の危機に陸路で前線へ向かいます。
目的地はベルギーのバストーニュ

バストーニュは7本の道路が交差する重要地点です。
そこへ第101空挺師団と第10機甲師団の戦闘団に対戦車砲大隊や工兵部隊に前線から敗走してきた将兵を集めて守りに就きます。

Bundesarchiv, Bild 183-1985-0104-501 / Lange / CC-BY-SA 3.0 [CC BY-SA 3.0 de], via Wikimedia Commons

空挺師団の奮闘

ドイツ軍の攻勢によって米軍の前線は押し下げられバストーニュは孤立する事になります。
12月20日からドイツ軍の装甲教導師団を中心とした攻勢に押されながらも空挺兵達は奮闘をしていました。
ドイツ軍は12月22日に降伏勧告をします。

空挺師団の師団長代理を務めるアンソニー・マコーリフは勧告を「Natu(たわけと言う意味)」と答えて抗戦を続けます。
まだ士気の高い空挺師団ではあったもののドイツ軍はバストーニュの守りで手薄な所を見つけクリスマスイブの24日に攻撃を仕掛けます。

装甲教導師団による攻勢で押された空挺師団はドイツ軍国民擲弾兵師団による歩兵の連続した突撃にバストーニュの師団指揮所まで2km以内にドイツ軍が迫る危機に陥りますが乗り切ります。
26日にはジョージ・パットンの第3軍による救援の手が届き孤立した空挺師団はバストーニュを守り切りました。

By US Army (US-Army history imagesPost-Work: User:W.wolny) [Public domain], via Wikimedia Commons

勝敗を決めたのは

戦車もあり対戦車砲もあった空挺師団でしたが孤立しながらもドイツ軍の猛攻に耐えたのは何故か?

クリスマスイブの攻勢の前にドイツ軍が準備の為に攻撃を停止した時間があったからです。空挺師団は陣地を強化して天候回復した23日には空から補給物資の投下が受けられ最大の危機を乗り切れる準備ができていたからです。

何より味方の戦線から離れて戦う事が常である空挺師団が包囲されても簡単に士気が落ちる事がないのも勝敗を分けた要因でしょう。


Writing by  葛城マサカズ

歴史やミリタリーの記事に架空戦記小説をネット上で書いています。

eyecatch credit:By German military photo, film captured by US Army (US Army Center for Military History) [Public domain], via Wikimedia Commons