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祖父と友人Aさんの不思議な縁

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この話は、私が二十歳の頃に祖父から聞いた話です。

昭和18年春、祖父は、友人Aさんと花見に行きました。
お互い生まれたばかりの赤ちゃんを連れて行ったそうです。

3ヶ月後、幼子が3人残し、Aさんの奥さんが亡くなりました。
Aさんは職業軍人なので、子供達を育てることが出来ません。
祖父はAさんに、子供達を人に預けるよう世話をやき、幼子3人はそれぞれ違う家に養子に入ることになりました。

祖父は一番幼い女の子を養子に貰う人が来た時、立ち会ったそうです。
皆が揃っている、まさにその時、Aさんのところに赤紙(召集令状)が来たそうです。

Aさんは左右に息子達、腕には娘を抱いて赤紙をもらっていたそうです。

その後Aさんは、戦死しました。

Aさんが戦死する前、祖父にも赤紙が来ますが戦地にはいかされず、日本国内の山中で通信兵の新兵としてこき使われていました。そこで隣の班にいたAさんと、偶然再会しました。

Aさんはもともと軍人だったから、どんどん出世して班長になってたくさんの部下を率いていました。
再会から一週間後、Aさんの班は戦地へ向かい、乗り込んだ船が沈没して全員戦死したそうです。

祖父の班は出兵することなく、終戦を迎えました。

十数年後、すっかり成長した娘さんは進学のために役所に戸籍を取りに行きました。
そこで初めて、自分が養子だと知りました。

最初は受け入れられず、大泣きしたようですが、一晩経って「自分には兄が2人もいる。嬉しい。」と言ったそうです。
その後、祖父が用事で彼女の家を訪れた際に、彼女が部屋の外からそっと祖父を伺っていたそうです。

「私を養子に出せと言って、世話をやいたのはコイツか。」と思っていたんだろうなあ、と祖父は話していました。

※画像はイメージです。

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