大阪府堺市にある妙国寺。
その境内にはたいへん立派な大蘇鉄があり、訪れる人を魅了しています。
この蘇鉄にまつわる話があります。
蘇鉄と織田信長との奇怪なエピソードである夜泣きの蘇鉄伝説です。
今回はこの伝説や妙国寺、ある浮世絵師の妖怪画等についてお話ししたいと思います。
妙国寺に帰りたいと泣いた蘇鉄
織田信長が活躍した戦国時代、南の国から妙国寺に蘇鉄が運ばれてきました。
蘇鉄とは、切れ込みが入った大きな葉を持つ、幹の太い立派な木です。
たいへん珍しいものであった妙国寺の蘇鉄は、人々の注目を集めました。たくさんの人々が妙国寺を訪れ、蘇鉄を見学したようです。
妙国寺の蘇鉄は、もちろん信長の目にも留まることになります。
信長は、この珍しい蘇鉄を気に入り、自身の権力を使い、無理矢理安土城へ移植しました。しかし、その蘇鉄は、安土の地で夜な夜な「堺へ帰りたい」と泣いたのです。
うめき声ともとれるその声を聞いた信長は激怒し、蘇鉄を部下に切らせます。すると、なんとその切り口から血が噴き出したのです。
まるで蛇が悶絶するかのような様相の蘇鉄を見て、信長は恐れおののき、蘇鉄を妙国寺へ返しました。
これは夜泣きの蘇鉄伝説として現在も語り継がれています。
月岡芳年の描いた蘇鉄の怪異
歌川国芳の弟子であった月岡芳年は、幕末から明治前期に活躍した浮世絵師で妖怪画を数多く手がけています。
芳年が手掛けた作品に和漢百物語というものがあります。和漢百物語は、日本と中国の妖怪話を題材にして描かれています。全部で26作品ありますが、その中に、小田春永という作品があります。
小田春永とは信長のことで、信長と、信長の側近として活動していた森蘭丸とが、蘇鉄とともに描かれています。
不気味な声を出す蘇鉄を灯りで照らして確認している様子が見て取れます。
芳年は、和漢百物語の他に新形三十六怪撰という妖怪画の作品も手掛けています。こちらは全部で36作品あり、その中に、蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル図という作品があります。
怪異の出所を調査するように信長から命じられた蘭丸が、一人で蘇鉄を確認する様子が描かれています。
妙国寺の境内に現在も佇む大蘇鉄
堺市の妙国寺境内には、夜泣きの蘇鉄伝説が残るたいへん立派な大蘇鉄が現在も佇んでいます。
高さ5m以上にもなる大木で、国の天然記念物として指定されています。
魅了し恐れさせた夜泣きの蘇鉄
信長を魅了し、そして恐れさせた夜泣きの蘇鉄。
芳年は、その伝説を画として現代に残してくれました。
芳年は、たびたび幽霊を目撃していたと伝えられています。
それ故に、数多くの妖怪画を手掛けたのかもしれません。
芳年の画を鑑賞しつつ、妙国寺の大蘇鉄を見学しに行くのはいかがでしょうか。
蘇鉄を目の前にすると、信長を恐れさせた当時の蘇鉄の情景が浮かぶことでしょう。
featured image:historical postcards, Public domain, via Wikimedia Commons
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