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スペイン風邪と世界大戦

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スペイン風邪は世界大戦を語る上で不可欠かつ重要な要素です。

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スペイン風邪はアメリカ発

世界で5千万人ともいわれる人が病死したスペイン風邪は、米国の米軍基地が発生源だとされています。

時あたかも第1次大戦の真っ最中で、 米国参戦が決まり欧州に大挙出兵した米軍と共にウィルスは渡欧しました。
前線の塹壕や野戦病院などの非衛生な密集状態の中、 瞬く間にウィルスは敵味方双方の兵士たちに感染していきました。

病気の発生状況があまりに酷いために、米英仏独など交戦中の各国は、 不利な情報としてその事実を軍事機密として隠匿します。
そして中立国スペインで流行が始まった際に初めてスペイン政府が公表したので、 スペイン風邪という間違った呼称が使われたのです。

戦争を終結させたウィルス

交戦中の各国軍では戦争遂行に支障をきたすほどウィルスが蔓延しました。

例えば米国の戦死者約1万人のうち半数はスペイン風邪による病没でしたし、 パリまで迫った大戦末期のドイツ軍の大反攻が失敗に終わった時、 独軍ルーデンドルフ将軍をしてスペイン風邪による兵士の士気の低下が敗因だったと言わしめています。
このように厭戦が交戦国、特に独軍を覆い戦争終結に繋がりました。

ウィルスが生んだ巨額の賠償

ドイツに関する戦後処理をめぐっては、 独国の軍事的再起を完封するための強硬策を唱える英仏と、 過度な負担は逆に世界秩序の不安定化に繋がるとそれに反対する米国との、 激しい対立が生じました。

その話し合いが行われたパリ会議の最中に米国大統領がスペイン風邪で重篤化し、 4日間の会議中断がありました。
その後再開された会議では、 最悪の体調と気力で臨んだ米大統領が英仏首相に対抗することができず、 英仏主導の厳しい独国賠償が決定しました。

その金額は1320億マルクと、当時の独国にとっては天文学的と表現され得るほど多額でした。
因みにこの賠償は2010年にやっと完済されました。
途中、ナチスドイツの支払い拒否や第2次大戦後の東西分断期の猶予など紆余曲折はあったものの、 完済に90年以上を費やするほど巨額だっということです。

そしてその経済的圧迫に疲弊し切った情勢が、アドルフ・ヒトラーを生み出す土壌となりました。
ウィルスは第二次大戦の遠因にもなっていたのです。

歴史大好きじいさんです。
歴史上の大事件は、ジャンルが違うと別個に語られてしまいますが、 世界規模のそれらは互いに影響がないわけがありません。

参照:日本経済新聞(デジタル)2010/10/4 ドイツ、第一次大戦の賠償金完済
Japan In-depth 人類と感染症9 スペイン風邪は第二次大戦の要因

※画像はイメージです。

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