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太平洋戦争末期の日本軍と特攻攻撃

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日本における第二次世界大戦は、1941年12月8日にアメリカのハワイ・真珠湾に対する空母機動部隊による航空機での奇襲攻撃と、当時イギリス領であったマレー半島への上陸作戦によって開始された。
日本側ではこれを大東亜戦争、アメリカを始めとする連合国側では太平洋戦争と呼称するのが今日においては一般的だが、ここでは便宜上太平洋戦争という呼称で記述をしていきたいと思う。

太平洋戦争は序盤こそ日本側が個々の戦闘で優位に立ち、東南アジアを中心に南方への支配地の拡大に成功したが、すぐに開戦翌年の1942年6月のミッドウェイ海戦ではアメリカ海軍に大敗を喫する事となった。
それでも太平洋は広大な為、アメリカ軍を中核とする連合国の反攻には時間を要し、最数的には1945年8月15日に日本がポツダム宣言を受諾し敗戦するまで、凡そ3年8ケ月ほども続いた戦争となる。

太平洋戦争の開戦直前の日本とアメリカの国力の差は、実にGDPの額で最低でも10倍、最大では20倍もの開きがあり、日米双方とも長期化した場合に日本が勝利する可能性がない事は十分に理解していたと思われる。
その為日本側の戦略としては、南方の石油資源を確保した後、出来得る限り自国に有利な条件で講和を結ぶ事を指向していたと考えられるが、アメリカ側の徹底抗戦の姿勢は堅く、その考えは実現しなかった。

そこで追い詰められた日本側は少しでもアメリカを中心とする連合軍の反攻を食い止めようと、1944年以降になると日本側の海軍将官ですら「統率の外道」と呼んだ戦術を特攻兵器を用いて実行に移した。

目次

特攻作戦を日本が実施した理由

特攻兵器を用いた特攻作戦と言えば、太平洋戦争末期において日本軍が採用した戦術として余りもに有名だが、そのそも特攻とは特別攻撃という単語の略称であり、通常の攻撃とは異なる事を意味している。
厳密にいえば特攻とは必ずしも特攻兵器を使用しての、兵員が実行すれば確実に死を迎える事のみを指してはおらず、状況次第では僅かながら攻撃を行った後に生還する可能性のある攻撃手法も含んではいる。

その代表例で特攻の語源とも言われているものが、真珠湾攻撃の際に海軍によって用いられた小型の特殊潜航艇・甲標的の投入であり、これは2名の兵員が乗り込む2本の魚雷を装備した兵器で、自爆攻撃用ではなかった。
しかし太平洋戦争末期に日本軍が行った特攻作戦は、概ね実施する兵員の生還を意図しない自爆攻撃になったと言え、1944年10月に海軍が始めた航空機を使用した神風特別攻撃隊が組織的なその戦術の始まりと見る向きが多い。

この神風特別攻撃隊は、現在でも自爆攻撃を行う無人機が「カミカゼ・ドローン」と形容される程に世界的にも著名な存在となっているが、それだけ戦史に与えた自爆攻撃のインパクトが大きかった事の証左でもあるだろう。
日本海軍は1944年6月のマリアナ沖海戦において虎の子の航空母艦3隻とその艦載機400機弱を喪失、逆にアメリカ海軍に艦艇の喪失は無く、艦載機130機を喪失したのみの惨敗を喫し、事実上日本の空母機動部隊は壊滅した。

このため1944年10月に日本海軍の第一航空艦隊司令長官に推された大西中将は、フィリピン・台湾・日本本土の航空基地部隊による連合国軍の要撃を企図した捷号作戦に向け、神風特別攻撃隊の編成を決断した。
既に個別の戦闘による日本側の不利は否めない上、マリアナ沖海戦の敗北を含め練度の高い搭乗員の大半を失っていた日本海軍にとって、残った経験の浅い搭乗員でも戦果を得るには自爆攻撃しか選択肢が残されていなかった。
因みに大西中将が日本海軍における組織的な特攻作戦の実施を決断したか否かについては、実のところそれ以前から同軍内でその開始は一部で既定路線となっていたと指摘する説もあり、断定する事は難しい。

航空兵器 神龍とタ号試作特殊攻撃機

前述した1944年10月の日本海軍として初の組織的な特攻の実施に当たって、編成された神風特別攻撃隊は零式艦上戦闘機(通称ゼロ戦)に簡易的な改修を施した機体を使用し、250kg爆弾、後には500kg爆弾も搭載された。
日本陸軍航空隊でも特攻には一式戦「隼」等の戦闘機が多数使用され、また後には爆撃機では海軍で九九式艦上爆撃機、彗星が、陸軍では九九式双発軽爆撃機、九九式襲撃機など既存の機体が改修後に使用された。

こうした既存の航空機を流用した航空特攻が行われるのと並行して、特攻作戦に特化した専用の航空兵器も製造されるようになり、海軍では母機に懸架して運搬、後に固体ロケットエンジンで推進、滑空して目標に向かう桜花が著名だろう。
こうした謂わばメジャーな特攻兵器だけでなく、海軍では桜花と同様にロケット推進するマイナーな神龍も試作しており、こちらは安価に製造する為に木製のフレームに羽布張りの構造が採用された。

神龍はロケット推進ではあるがその稼働時間は最大でも30秒ほどで、その使用後はグライダーとして滑空して標的に向かう仕様で100 kg徹甲爆弾を搭載、1945年8月15日までに4機の試作機が造られた状態で終戦を迎えた。
また陸軍ではタ号試作特殊攻撃機と言う特攻専用の航空機の開発も行っており、日本本土に接近する連合軍の艦艇を破壊する目的で、熟達した作業員でなくとも製造できるようにと、直線を基調に設計がなされた。
タ号試作特殊攻撃機は2種類があり、一つ目は100kg爆弾、二つ目は500kg爆弾と破壊力には大きな差があったが、何れも試作機の製造のみで敗戦を迎えたため、量産化には至らず実戦への投入はされていない。

unknown author(Life time: unknown. The photo is from 1945), Public domain, via Wikimedia Commons

人間機雷 伏龍

これまで見てきたように太平洋戦争末期における組織的な特攻作戦の実施を担った兵器は、海軍の神風特別攻撃隊が最も著名であるように、既存の航空機の改修や専用機の製造も含め、航空機が主流ではある。

しかし海で用いられた兵器も少なからず存在しており、その分野における最も著名な兵器は人間魚雷・回天であると思われ、これは九三式三型魚雷を1人乗りように改修したもので、2006年に公開された映画「出口のない海」でもお馴染みだろう。
但し水中の特攻兵器としては人間機雷・伏龍と称されたマイナー兵器もあり、これは簡単に言えば専用の潜水服を着用した兵員が海底を歩き、手に持った2m若しくは4m程の棒状の機雷て敵艦艇の底部を突くと言う代物だった。

人間機雷・伏龍は凡そ5時間程水中に待機可能な酸素ボンベを備え、敵の部隊の上陸用舟艇が襲来するであろう海中に潜み、その敵艦の底部に15kgの炸薬が詰められた機雷付きの棒を突き立てて自爆攻撃を企図したものだった。
この人間機雷・伏龍を企画した海軍では、連合軍の関東上陸を睨みその地点となるであろう千葉の九十九里の海岸等での実施を19455年の10月末を目途に想定していたが、8月に敗戦を迎えた為、実戦投入には至らなかった。

unknown United States Navy personnel, Public domain, via Wikimedia Commons

特攻作戦における日本軍の人的損害と戦果

日本軍が実施した特攻作戦における人的被害は、やはり中心であった航空機を使用したものが最大で海軍が2,531名、陸軍が1,417名と合計で凡そ4,000名弱の戦死者を出しており、少なからぬ犠牲と思われる。
次いでここまでは触れてこなかったが、木製の1人乗りのモーターボートに主として250kgの炸薬を搭載した震洋等の海上特攻が合計で1,344名の戦死者を輩出、航空特攻に次ぐ規模の人的被害を出している。
また甲標的や回天等の海中特攻も合計で546名の戦死者を数えており、航空特攻、海上特攻に次ぐ犠牲者を出す形となっており、これら3種の総合計では5,838名にも上る人的損害が生じた事が記録されている。

こうした犠牲者の元、航空特攻では護衛空母3隻、駆逐艦15隻、中型揚陸艦7隻、輸送艦7隻など合計で55隻の連合軍の艦艇を撃沈しており、同様に水上特攻では13隻、水中特攻では6隻の撃沈が確認されている。
これらの撃沈以外にも日本軍の特攻作戦によって25隻の連合軍艦艇が除籍される損害を被っており、これが合計で5,838名の人的損失に釣り合う戦果であったか否かについては、議論が分かれる部分だろう。

但し敵側から見た場合、連合軍太平洋方面軍及びアメリカ太平洋艦隊司令を務めたアメリカ海軍のチェスター・ニミッツ元帥は、戦後の講演で太平洋戦争中の出来事で日本軍の特攻作戦のみは予測し得なかったと述懐している。

現代において多くの西側諸国のが人的損耗の回避を指向している理由

2023年10月時点でも現在進行形であるロシア・ウクライナ戦争を見れば、無人航空機による自爆攻撃や徘徊型弾薬タイプのドローンによる攻撃が散見され、軍事技術の進歩が特攻からそれらの一部を代替したように感じられる。
あくまでも個人的には太平洋戦争で日本軍が行った特攻作戦をどのように評価すべきのかの尺度は持ち合わせていないのだが、ロシア・ウクライナ戦争の西側製の兵器の供与に関しての報道の一部には違和感を禁じ得ない。

それは主としてドイツ製のレオパルト2などの戦車が、ロシアの戦車よりも生存性が高い事をして、兵員の命を人道上の観点から考慮したかのように持ち上げる一部の言説に対してである。
西側諸国の戦車等が兵員の命を保護する設計思想を取り入れている事に異論はないものの、結局それは人的な損失が再度の徴収や訓練等を慮すれば、出来るだけそれらを防止する方が手間とコストを低下させる故の判断だと思えてならない。

※画像の一部はイメージです。

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