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今の世にも活きる常在戦場の心

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常在戦場の心は現代の人間にこそ必要です。

目次

山本五十六の座右の銘

山本十五六は旧長岡藩藩士・高野家に生まれました。
海軍大学卒業後、元藩主だった牧野子爵の口利きにより、藩家老だった山本家を相続してこれを再興しました。
山本家は清和源氏の流れを汲む名家ながら明治維新以後断絶していました。

五十六が常在戦場を自身の規範としたのは武人の家柄出身で自らも軍人となり、さらに名家山本家の名跡を継ぐといった、武の濃い血統のせいだけではありません。

牧野家に伝わる家訓

常在戦場は三河国の豪族牧野家の家訓として伝えられてきました。
当時の三河は今川、織田、武田などの大勢力に三方を囲まれた厳しい状況が常態で、牧野氏は生き残りのために瞬時の油断も許されず、常在戦場は必要不可欠な心構えでした。

今川義元亡き後、徳川家康が三河国領主として返り咲いた時に、牧野氏はその家臣となりました。
牧野氏は忠勤により大名に取り立てられ、最終的には長岡(現長岡市)に封されて、長岡藩主として明治の廃藩置県まで続きました。

藩政には当然の如くその家訓である常在戦場の心が色濃く反映され、武士ばかりか庶民に間にも浸透していきました。
明治維新後、藩は無くなっても、長岡の人々に根付いたその心は消えず、長岡人である山本五十六にも常在戦場の心はしっかりと息づいていたのです。

常在戦場、もう一つの意味

天下分け目の合戦の決戦場・関ケ原に向かう途中、牧野家は秀忠軍の一部隊として、上田合戦で真田親子と対峙しました。
この時、牧野勢は軍令無視の突出で真田の術中に陥り、これが秀忠軍全体の敗北を誘引したと糾弾されました。
牧野家は処罰を受けて父・康成は蟄居しましたが、嫡男忠成はこれに服さず出奔してしまいます。

まかり間違えば御家改易になりかねないこの危機を不撓不屈の精神で乗り越え、やがて帰参が許された忠成は大坂冬・夏の陣での軍功ばかりか、秀忠の娘の皇室入内や福島正則改易における働きにより次々に加封され、最終的に長岡藩7万4千石の藩祖となりました。

牧野忠成のこの生き様こそが常在戦場の心に沿うものだと謂われています。
つまり諦めが死に繋がる戦場に在るが如くに、人生をしぶとく生きることの強さと、ここでの失敗を別方面の成功によって再起する柔軟さを併せ持つことが、常在戦場の一方の心なのです。
400年以上前の4文字は、現代にこそ活きている言葉です。

歴史大好きじいさんです。
400年以上の間、連綿と続く武士の心があります。

参照
真田三代 火坂雅志 著
サイト越後長岡ROOTS400

※画像はイメージです。

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