独ソ戦の流れを変えたと言われるスターリングラード攻防戦
このスターリングラードと同時に進行していたカフカス地方への侵攻、ドイツ軍はこれらを合わせて青作戦と称して実行していました。青作戦がどう計画され狂いが生じ、スターリングラードの敗北に繋がったのか。
総統命令第41号
1941年6月から始まったドイツとソ連の戦争、独ソ戦
当初はドイツ軍が進撃を続けたものの、ソ連の首都モスクワを前に連戦での消耗と補給線が伸びたドイツ軍の進撃は止まった。
1942年、ソ連軍の反撃が冬期の間で行われたものの戦局を逆転させるまでに至らなかった。だが、ドイツ軍がソ連を降伏に追い込める程に優位と言う訳でも無かった。
4月にヒトラーは総統命令第41号を出す。この命令は1941年夏期の東部戦線における方針を示すものだった。
全般としてソ連軍の戦力を叩きつつ、東部戦線の南部に投入できる戦力を集中する。
その集中させた戦力でドン河西部の都市ヴォロネジを攻略してから南下、コーカサス地方の油田地帯を占領する。ヴォロネジとコーカサスで作戦を完了したドイツ軍はスターリングラードを挟み撃ちにして攻略すると言う内容だった。
作戦の目的にコーカサスの油田地帯をソ連から奪い、ソ連の戦争継続能力を低下させる事だった。
この南部での作戦を青作戦と称した。
青作戦開始
1942年6月28日未明にドイツ軍は青作戦を開始した。
青作戦を実行するのはフェードア・フォン・ボック元帥率いる南方軍集団だ。
最初の目標であるヴォロネジでソ連軍が激しく抵抗をしたために、攻略が済むのを待たずドイツ軍は先へ進む。
7月7日に南方軍集団はヒトラーの命令でコーカサスへ向かうA軍集団とスターリングラードへ向かうB軍集団に分けられた。
だが7月13日にボック元帥が罷免される。作戦の展開に悲観的であった事がヒトラーからの不信を買ってしまった。
ボックは前線でソ連軍が組織的な後退を続け、ソ連軍の戦力が思ったよりも撃破できていないと分かっていた。これで作戦は失敗しているとボックは判断していたからだ。
ボックの後任ヴァイクス上級大将が就任して青作戦は続行される。
狂う作戦
青作戦は順調に進んではいなかった。
ヴォロネジの攻略が長引き、そのままコーカサスとスターリングラード攻略に着手します。
こうした作戦の進行の変化はヒトラーの命令によるものでコーカサスの油田地帯の占領もソ連の戦争継続能力を低下させる事から、ドイツの戦争継続の為に使用するに変わっていた。
前年と違うしぶとさを見せるソ連軍、戦略レベルで狂いが生じる作戦、更には補給線が伸びて前線部隊が補給不足が生じる。
コーカサスへの侵攻は8月下旬には補給不足で進撃が困難になり、9月にはソ連軍の抵抗も強くなりA軍集団は止まった。
油田があるマイコプを占領できたものの、ソ連軍によって破壊された後だった。
スターリングラードでの敗北は当初の計画から狂いを生じさせたヒトラーによって招いた結果と言えます。
featured image:Sergey Strunnikov, Public domain, via Wikimedia Commons
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