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シンバイオニーズ解放軍と「ストックホルム症候群」

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以前「ストックホルム症候群~事件の人質が犯人を好きになる心理」という記事で、いくつかのストックホルム症候群によるものと考えられる事件をが紹介し、その中のひとつにパトリシア・ハースト事件がある。

今回はパトリシア・ハースト事件をピックアップして、シンバイオニーズ解放軍に語ろう。

目次

シンバイオニーズ解放軍 VS SWAT

AP通信のYouTube公式アーカイブでは、1974年5月24日にロサンゼルス市内で起きた銃撃戦の記録映像が配信されている。
平穏そうな住宅街、その一角に犯人グループが潜伏していることが判明。
犯人グループに気づかれぬうち、警官隊は周囲を包囲。警官隊は犯人グループにむかって投降を呼びかけるも、結局は市街戦も同然の銃撃戦に陥った。

現場上空を旋回するLAPDのヘリコプター。犯人グループが籠城する一軒家を包囲するロス市警やFBI、そして発足から間もないSWAT、合わせて約400名が集結した武装した警官隊。

激しく飛び交う銃弾の音の中で黒煙をあげて燃えあがる家、避難する周辺住民と地獄絵図。
パトリシア・ハーストを誘拐したテログループ、「シンバイオニーズ解放軍 Symbionese Liberation Army」が警官隊との銃撃戦のすえ、壊滅する光景を撮影した映像である。
SWATが突入すると、犯人グループのうち数名は被弾したか、火事の煙で窒息して死亡していた。

このシンバイオニーズ解放軍だが、主だった事件が収束して以降は日本国内では言及された形跡が少ない。「シンバイオニーズ解放軍」という単語をAmazonで検索してみたところ、書籍などは古書を含めてヒットしない。
国立国会図書館デジタルコレクションでは、おもに事件当時の週刊誌や、80年代に翻訳された書籍が数件ほど見当たる程度だ。

調べるうちに情報が少ない理由が、少し分かったような気がした。どうもシンバイオニーズ解放軍は、60年代以降のアメリカ政治史のなかでも突出して「黒歴史」めいた存在であるらしい。
ムチャクチャであった70年代の例外をのぞけば、彼等をNetflixのオリジナル・コンテンツや、2020年代のアメリカ映画界が映像化する日は来ないだろう。
2017年に映画化が報じられて以降、やはり続報がない。

AP通信のアーカイブ映像。ロス市警との市街戦の模様

シンバイオニーズ解放軍の誕生と壊滅

シンバイオニーズ解放軍が正式名称を「Symbionese Liberation Army」と言う。英語圏では略してSLAと表記されることもあり、乱暴に翻訳すれば「共生解放軍」などと表記することも出来る。

「解放軍」と言っても戦車などを保有していたわけではなく、少数のメンバーで構成されたテログループに過ぎない。主だった活動期間は1973年から1975年と短期間だが、メンバー構成やアメリカ国内で起こした事件の内容などを見ると、言及するには何かと面倒の多い極左テログループであることが判明する。

まずスポークスマンのドナルド・デフリーズ。アフリカ系である彼は未成年のころはストリートギャングであったが、刑務所に収監されているときに、そこを訪れていたカリフォルニア大学バークレー校のボランティア・グループと出会う。
バークレー校の白人学生で構成された、あくまで囚人が出所後に社会生活を送れるよう、支援することが目的のボランティア活動だった。だが、同時に政治参加への関心や参加をうながす、日本語で言えば「オルグ」のような側面も強かったらしい。こと中南米で活発化していたゲリラ戦について議論する機会も多かった。
そうしてデフリーズは、公民権運動やブラックパンサーの影響をうけて政治運動に参加するようになった。このボランティア活動の関係者から後に、シンバイオニーズ解放軍が誕生することとなる。

そうしたボランティア活動に少なからず関心を寄せていたのが、バークレー校の学生であった白人女性のパトリシア・ソルティシグ。優等生であった彼女は奨学金を得てカリフォルニア大学バークレー校に入学。熱心なラジカル・フェミニズトであった彼女は1969年5月15日、同校で発生した学生と警官隊、州兵が衝突する騒ぎに遭遇。
「血の木曜日」と呼ばれるこの事件で、学生側に失明者や死者が出るほどの警察側の暴力にソルティシグは憤慨、シンバイオニーズ解放軍に合流する遠因となる。
 
他にも無期刑となったチカーノのジョー・ミレロなど、メンバーにはウィリー・ウルフといった主だったメンバーの急進派の白人と合わせ、エスニック・マイノリティや女性は何人か在籍していた。
キング牧師やマルコムX、ローザ・パークスといった歴史に名を残した政治活動家の輝かしさ、彼らが高揚させた同時代の公民権運動や女性解放運動への参入という、しごく真っ当な行動のモチベーション。それらを実現せんとしたメンバーの人種とイデオロギーが、後に引き起こした事件の凄惨さと著しいギャップを感じさせて痛々しい。

1973年3月5日、ドナルド・デフリーズは刑務所から脱獄。
脱獄したデフリーズは、手助けしたメンバーの活動拠点のあるカリフォルニア州オークランドに向かい、そこで12名のメンバーと合流。シンバイオニーズ解放軍は結成された。「Symbionese」とは「共生」を意味する「Symbiosis」を捩ったもの。イデオロギーは共産主義革命、反ファシズム、反差別、フェミニズムなど。オークランドといえばブラックパンサーが結成された街でもある。

人民を食い物にするファシストという虫けらに死を

シンバイオニーズ解放軍を有名にした最初の事件は1973年11月6日、オークランドの教育行政に携わっていたアフリカ系アメリカ人マーカス・フォスターの暗殺だった。フォスターは当時としては珍しいアフリカ系の行政関係者であり、ゲットーの住人から信頼も得ていた。だがシンバイオニーズ解放軍は共和党との関係や政策を評価せず、フォスターを銃撃、暗殺した。
マーカス・フォスター暗殺事件は当然ながら、アフリカ系住民の大半から激しい反感をかう。だがシンバイオニーズ解放軍は臆することなく、各地で散発的なテロを続けた。

翌年の1974年2月4日、シンバイオニーズ解放軍はカリフォルニア大学バークレー校に通う19歳の女子大生パトリシア・ハーストを誘拐。
彼女の父親は悪い意味を込めて「マスメディアの王」と呼ばれたウィリアム・ハースト(オーソン・ウェルズ『市民ケーン』主人公のモデル)の息子で、ハースト一族の保守的な資産家である。そうした一族の資産にダメージを与えることを目的とし、シンバイオニーズ解放軍はパトリシアを誘拐した。

シンバイオニーズ解放軍は誘拐のあとに声明を発表。マーカス・フォスター暗殺事件で逮捕されたメンバーの釈放、それにカリフォルニア州の困窮者(当然、さまざまな人種が含まれる)全員にむけて約70ドルの食糧支援を実行するようハースト家に要求。応じなければ娘を殺すと宣言した。

逮捕者の釈放は州から拒否されたが、ハースト家の方は要求をのんだ。ハースト家は銀行からの融資を受けて、総額4億ドルのかかる食糧支援プログラムを実行。だがシンバイオニーズ解放軍はパトリシア・ハーストを解放せず、「殺されるかテロ活動に従うか」の二者択一をパトリシアに突きつけた。
パトリシアは「テロ活動に従うか」を選び、シンバイオニーズ解放軍の広告塔となり、極左思想を讃える録音テープは全米で放送された。

1974年4月15日。シンバイオニーズ解放軍はサンフランシスコの銀行を襲撃。そこには自動小銃を構えた彼女の姿があり、その模様は監視カメラで撮影され、各メディアで広く流布した。
捜査とメンバー逮捕に躍起になった全米の捜査機関が居所を突きとめ、武装したシンバイオニーズ解放軍がロサンゼルス市内で銃撃戦を展開したのは翌月のこと。この銃撃戦によりリーダー格のドナルド・デフリーズは死亡。
シンバイオニーズ解放軍は壊滅状態となった。残党はパトリシア・ハーストをテロ活動に加勢させたまま逃走を続行。彼女がテロ実行犯として逮捕されたのは、1975年9月のことだった。

彼女の行動からすると自主性があり、決して脅された訳では無いと思われる。そもそも彼女がそういった思想を持ち合わせていたとしても、同行していくなかでテロリストと心理的なつながった・・・つまりは、ストックホルム症候群に陥ったのではないかと考えられるのである。

シンバイオニーズ解放軍の活動がなぜ過激化したのか

大学のボランティア団体を原点とするシンバイオニーズ解放軍の活動がなぜ、こうも過激化したのか。一説によれば、ドナルド・デフリーズはテロ活動中もFBIなど警察機関と密かに連絡を取り続けており、デフリーズは左派を壊滅させるべく警察が仕込んだ工作員であったとか。

そうだとして、マーカス・フォスター暗殺に留まらず幾つものテロ事件を引き起こし、あまつさえ著名な資産家の娘、それも未成年を誘拐してテロ活動に巻き込むまでに事態が深刻化していくことを、FBIが喜んでいただろうか。万が一、ドナルド・デフリーズが死亡せず法廷の場に引きずりだされて「オレは警察に買収されたから、お望みどおりの仕事をしてやった」などと白状すれば、FBIは立つ瀬がないではないか。そんな雑な仕事をFBIがやるものだろうか。

シンバイオニーズ解放軍はSWATが市街戦を繰り広げた1974年といえば、ときの大統領リチャード・ニクソンが選挙工作のため民主党本部を盗聴したウォーターゲート事件その他のスキャンダルのすえ、逮捕を逃れて辞任した年でもある。明かされる筈の諸々が、明かされないもどかしさ。ウォーターゲート事件をつきとめた「ワシントン・ポスト」のジャーナリスト。
その前哨戦といえる「ペンタゴン・ペーパーズ」をめぐるニクソン政権と「ニューヨーク・タイムズ」の戦い。同時代の気分を顧みれば「シンバイオニーズ解放軍はFBIに操られていた」とするストーリーには、事実関係は別として相応のリアリティはある。

もっとも、FBI関与説は「こじつけ」だろう。輝かしくあるべき公民権運動以後のアメリカ政治史にとって、シンバイオニーズ解放軍は鬼門のごとき存在であることが、英語圏の記事からは窺える。日本国内にいると伝わってこないが、一連のテロ事件が与えたトラウマは、アメリカ国内の右派・左派ともに絶大であったようだ。

パトリシア・ハーストが逮捕されたのち、恩赦で釈放された後も、残ったメンバーは逮捕者を出しつつ、2000年代まで逃走を続けた。そうした光景を眺めていた人物に、ホラーの枠組みに収まらない大御所作家スティーヴン・キングがいる。

スティーヴン・キングの記憶

ロサンゼルスの市街戦で死亡したシンバイオニーズ解放軍のメンバー、ウィリー・ウルフのコードネームが誤って「Cujo」と報じられた。それから何年も経た1981年、キングは狂犬をモンスターとしたサスペンス小説「クージョ」を出版。原題は「Cujo」、ウィリー・ウルフに関する誤報に由来する。また1978年の『ザ・スタンド』では、登場キャラクターはシンバイオニーズ解放軍と関係があった過去が仄めかされる。

キッチュとリアルが同居し、モダンホラーとして桁違いの完成度を持つのが70年代キング作品の持ち味だ。しかし、その裏側には現実社会の殺伐とした政治の恐怖が控えている。
原因不明のまま人間に襲い掛かる無人の大型トラック軍団。メイン州の田舎町を侵略する吸血鬼。邪神に支配されたトウモロコシ畑の子どもたち。悪霊たちの巣食うコロラドの老舗ホテル。
そうしたB級ホラー映画の記憶を源泉としたモンスターの幻想をめくると、シンバイオニーズ解放軍のような、若き日のキングが本当に忌々しく感じた、実態のある何かの影が差す。

シンバイオニーズ解放軍をめぐっては、FBIのほかにオープンソースが少ない。それだけ痛ましい政治的挫折だということだろうか。映画やポップスといった、翻訳編集されることのないアメリカ史が、そこにある。

参考
パトリシア・ハーストに関するFBIのwebサイト(英語)
https://www.fbi.gov/history/famous-cases/patty-hearst

※画像はイメージです。

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