歴史の教科書にも変遷があり、昔習ったそのままのことを信じているとヤバいこともあるみたいなんですよね?
プロローグ歴女の私
歴史ファンは、歴史の教科書なんか見ません。だって知りたいこと、歴史の面白い事件について載ってないし、カタログを見ているみたいでつまんないからです。
それに歴史の教師についても、嫌な思い出しかありません。
今でも忘れられないのは、高校の時、明治時代に征韓論で敗れた西郷隆盛らが「下野」したという話の時でした。隣の席の子と「下野って何だろうね」と首を傾げ、教師に質問したんだけど、「下野」としか答えてもらえなかったんですよね。
国立大学卒業の女性教師、丸暗記でここまで来たな、たまたま試験に受かったとかで歴史や政治経済を教えているだけとみた。この人、授業中、歴女の私にびくびくおどおどしていると同級生が言ってましたっけ。
ちなみに、「下野」は、政府の仕事をした人が辞めて民間人になることで、今はネット検索で何でもわかる便利な時代になりましたです。
聖徳太子が教科書から消える?
さて、そのネットで最近の歴史の教科書では、1192年が鎌倉幕府が開かれた年ではなくて、1185年の守護地頭設置の年に変わったこととか、聖徳太子が教科書から消えるという情報を知りました。
歴史に興味のない方はびっくりされるでしょうが、過去の出来事なのに日々新しい発見とかあって、歴史は変わっているんですよ。
一番有名なのは戦後すぐの歴史の時間、教科書に墨を塗って否定して回ったという話でしょう。この頃に小学生や中学生だった人は、歴史に興味のない人が多いみたいです。
いったい何が起きたのか?
それで聖徳太子、一万円札に肖像画が使われていたほどの日本一有名な偉人だったはずです。それが今ではなんと、存在すら否定されるというではありませんか。
いったい何が起きたのかと調べてみますと、要するに「憲法十七条」「冠位十二階」を制定し、遣隋使を送って対等外交をしようとしたとか、仏教を広めて法隆寺などを建立したなどの業績を、たったひとりではできることじゃないと疑いを持った人がいたんですね、法隆寺ももっと後の時代の建立だとか。
聖徳太子のことが書いてある「日本書紀」を作らせた、天武天皇が、自分の祖先が優秀で昔から支配者だったと誇示するために聖徳太子を作り上げたらしい、ということが判明したわけなんです。
聖徳太子は存在しない?
推古天皇の摂政で厩戸王という人物はいたし、優秀な人物だったらしいけど、それが聖徳太子というおくり名を送られるような業績をすべて一人で成し遂げた証拠はない、だから「聖徳太子は存在しない」ということなんだそうです。
じつは、聖徳太子は歴史に残る業績のほかに、仏教の民間信仰の対象としても独り歩きしていて、あちこちの寺の建立のほか、忍者を初めて使ったとか、すごい予言をしたとかいう話もあるんです。
これも、その後でっち上げられたのか不明ですが、よく考えると明治以後、神武天皇とか神話の世界を歴史として教えたり、南北朝の後醍醐天皇の忠臣として楠木正成らを持ちあげまくったのに、戦後はまったく取り上げなくなったりと言うのと同じことが、奈良時代に行われていたのかと思うと、びっくりです。
過去に起こったことは変えられないんですが、新しい史料や発掘などの発見で今までの通説が覆ることは多いです。
が、その時代の政治的な思惑で歴史的人物の価値や見方がコロコロと変わるのは、日本だけじゃないかと思うんですよね。
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