第二次世界大戦でドイツが開発したロケット戦闘機Me163
ドイツと同盟を結んでいた日本はMe163を日本軍の新型戦闘機として導入を図りますが・・・
Me163とは?
1944年から実戦配備された世界初のロケット戦闘機であるMe163
最高速度950km/hで速さはこの時代の戦闘機では最も速い。
しかしロケットエンジンによる燃料消費が多く航続距離は飛行時間7分ほどで行動半径40kmと足の短いものでした。
それでも高度1万メートルまで3分半で到達できる上昇力は迎撃機として魅力的な性能でした。
しかし着陸は機体下部のソリを使った地上を滑る方法で燃料は過酸化水素やヒドラジンを含み人体に浴びれば皮膚のただれや中毒症状が起きるなどパイロットにとっては危険が大きい機体でもあった。
日本への技術提供
ドイツの同盟国である日本は1944年(昭和19年)7月に伊29潜水艦によってMe163の資料がもたらされた。
同盟国とはいえ伊29がドイツへ運んだ生ゴムやタングステンなどの戦略物資との引き換えに日本はMe163の技術提供を受ける事ができた。
とはいえ簡単なMe163の構造や燃料を製造する資料ぐらいであった。
日本版Me163である「秋水」の開発は陸軍と海軍が共同で行い三菱も加わり進められます。仲が悪い日本陸海軍が共同開発するほどに「秋水」への期待はかなり大きいものでした。それはB-29による本土空襲が迫っていたからです。
開発と同時に「秋水」部隊も編成され「秋水」に乗る事を想定した訓練を行いました。
未完の秋水
陸海軍が協調して開発を進めていたもののロケットエンジン開発は難航した。
エンジンの設計は出来たものの詳細ではない資料を基にした開発は試作と実験を繰り返す事になり多くの時間が必要となった。
ようやく試験飛行ができたのは1945年(昭和20年)7月だった。
この一度だけとなった「秋水」の飛行は操縦していた犬塚大尉が死亡する墜落事故となってしまいます。
開発を終えぬまま「秋水」は終戦の時を迎えるのです。
未完の戦闘機となった「秋水」
もしも実戦に間に合ったとしても本家のMe163同様に基地が特定されて回避されてしまい活躍できないかもしれません。
また「秋水」の燃料に関しても戦争末期の空襲で工場や交通機関が破壊される中で生産やガソリンより危険性に配慮した燃料の保管設備を十分に整えられるか問題がある。
開発が終わっても「秋水」が飛べるかは難しい課題があったかもしれません。
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eyecatch source: Warbirds site [Public domain], via Wikimedia Commons
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