神奈川県の某所に存在するT廃水力発電所。
写真を交えつつ、そこに行ってきた話、発電所の現役時代を知る地元出身の古老の話、軽装備で行って少しひどい目にあった話などをご紹介します!
T廃水力発電所
神奈川県の山間の某所に、昭和の中頃に稼働を停止した水力発電所の遺構が良好に現存することを知った私は、早速現地を尋ねるべく下調べを実施した。
下調べの結果、川沿いに設けられた水力発電所に行くためには、川を渡らなければならないことが分かった。
空中写真などを見たところ、付近の浅瀬ならば十分渡渉も可能そうだ。
雨が少ない時期を見計らい、やや時期に不釣り合いな半ズボンとサンダルを用意して、私は現地に赴いた。
現地付近はやや開けた河原で、ハイシーズンではないが、主に家族連れやキャンパーらで賑わっている。
そんな中、季節外れな恰好をした私は車を河原に駐車し、家族連れで賑わう河原をやや下流に移動し、50m程の川幅を歩いて渡る。
既に川遊びのハイシーズンではない為、冷たい水と川底の藻類に足を取られないよう気を付けて渡った。
因みに発電所がある対岸付近は木々が生い茂り、そこに発電所があると事前に知らなければ対岸からは全く様子を窺い知ることができない。
発電所の内部へ
対岸に到着した私は、鬱蒼とした雑木林に分け入る。
なお、この時の私は横着をしてサンダルに裸足のまま発電所跡へ向かったが、これが後に思わぬ惨事に繋がる…
少し進むと、目的のT発電所の遺構が見えてきた。
発電所の全景を何とか写真に収めようと思ったが、余りにも木々が鬱蒼としていて困難だった。
T発電所は大正11年頃運転開始、昭和39年頃に運転を停止して現在に至るようだ。
大正時代の発電所らしいモダンな佇まいが美しい。
ただ、ネットなどにある発電所の古写真と較べると、建造当時の赤煉瓦だった外装を塗り替えているようだ。
それを裏付ける写真がこれだ。
コンクリートの外壁の中に、大正時代の建造当時の姿と思われる赤煉瓦が見える。
個人的には建造当時の赤煉瓦の方が、より大正ロマンを感じる佇まいだったと思うのだが、些か残念である。
発電所の内部は機器などの類は撤去されているが、屋根の一部が崩落している以外は極めて良好な遺構が残る。
構内の全景と倒木により一部が崩落した屋根。
私は趣味で人物写真を撮っているのだが、廃墟撮影のロケーションには最適だ、などと思いつつ写真を撮る。
構内は崩落部分から自然光が入るので、殊の外明るい。
水を送り込む巨大なパイプの穴がぽっかりと口を開く。
誤って落ちたら這い上がれないだろうと思うと身の毛がよだつ。
地元の古老による聞き書き
一通り写真を撮り終え満足して廃墟を後にした私は、とある老人に話しかけられた。
詳しく話を伺うと、地元の出身者で現在は地元を離れているが、時々郷愁に思いを馳せ、こうして里帰りするのだと言う。
古老の証言によれば、発電所操業当時の貴重な様子が幾つか窺い知れた。
- T発電所は当時、地域の主力産業であった撚糸産業の電力需要を賄うために建造されたのではないか
- 発電所の操業当時は発電所に向かう吊り橋が架橋されていた。
これはWeb上などに掲載されている操業当時の古写真なども存在し、確実な情報だろう - 「発電所にはM氏(仮名)と記憶する発電所番を務める男性がおり、地元の子供たちで発電所に遊びに行くと、M氏は子供達の川遊びのために放水をしてくれたらしく、それが今でいう流れるプールのような感じで楽しかった」と語っていた。現在からすると、色々ととんでもないような話だが、良くも悪くも当時の大らかな世相を反映している話といえるだろう。
サンダルで廃墟に行くのはやめよう
古老との有意義な話を終え、意気揚々と車に戻った私はふと足の違和感に気付く。
なんと、足の裏が血だらけになっていたのだ!
原因はすぐに判った。
蛭だ!蛭が二匹足の裏に吸い付いていたのだ。
私の血を吸って丸々と肥えた蛭は、まだ私の足に吸い付いて離れない。
御存じの方も多いだろうが、こういう時無理矢理引きはがすのは禁物だ。
映画のようにライターで炙るのも火傷の危険があるのでお勧めしない。
こういう時は、コロナ禍で活躍した手指消毒用のアルコールが役に立つ。
アルコールを蛭にかけると、コロリと安全に落ちてくれる。
アルコールで足の裏の蛭を落とした私は、寒い時期だからといって油断した自分の甘さを悔いつつ、T発電所の訪問を終えたのである。
思った事を何でも!ネガティブOK!