名戦車に挟まれた影の立役者「T-44」

第二次世界大戦のヨーロッパにて、アメリカで開発されたシャーマン戦車は、ドイツ軍の重戦車ティーガーⅠに苦戦を強いられていた。
結果的にティーガーに対抗するべくM26パーシング重戦車が造られ、戦後M46パットンへと繋がっていく事になる。
ソ連でも今後に備えて後継の戦車を造るのは必然であった。

T-34の設計者であるミハイル・コーシュキン技師亡き後、主任技師を受け継いだアレクサンドル・モロゾフは1943年にT-34の後継機T43を試作した。これは量産されなかったものの、砲搭を既存の車体に搭載する事で火力の向上に成功。某戦車道アニメやゲームでよく見る「T-34-85」である。

しかしこれでは根本的な解決にならないので、モロゾフは車体を再設計することにした。低い車高で被弾傾斜に優れ、生産性の高いデザイン…後のソ連主力戦車を象徴する基礎が誕生した。

1944年、この革命的な戦車「T-44 」は採用され、約1,700両が製造されたが、致命的な問題点があった。それは火力だった。

T-34-85と同じ85mm砲を装備していたせいで真っ先に火力不足を指摘される。この時には既にパンターやティーガーⅡが投入されていたのだから尚更である。
T-44 は量産の開始と併せて新しい主砲(100mm LB-1戦車砲)を搭載する為開発が進められるが、ドイツが降伏。ついにT-44は実戦を経験する事無く終戦を迎えてしまった。

Alf van Beem, Public domain, via Wikimedia Commons

1946年、T-44に100mm砲を無理なく搭載する事に成功。
名称をT-54と改称、主砲も100mm D-10Tに換装。ここにソビエトを象徴する名戦車が完成した。因みにニュースやゲームで見るお椀のような砲搭になるのは1951年からである。

結局T-34とT-54の繋ぎ的な存在になってしまったが、後のソ連主力戦車の基礎はT-44であり、戦車開発史において非常に重要な立ち位置にある事は間違いない。

T-44は戦後も運用が続けられ、ハンガリー動乱に投入されたとされているが、記録が存在しないため信憑性に乏しい。
日の目を見る事が無いと思われていたが、戦争映画でティーガーに変装して出演したり、ヒストリカルイベントに登場したりと意外な余生を過ごしている。戦車ゲームでもその姿を見る事ができる。

マイナーな戦車ではあるが後々造られる戦車に繋がっていくという事で、筆者の性癖にドストライクしてしまい、このような記事を書くまでに至ってしまった。そして何より驚きで強調したいのは、1944年に既に現代戦車の基礎が出来上がっていた事である。
(パーシングやセンチュリオンも然りだが…)

所謂東側陣営の武器、兵器の魅力に取り憑かれた人です。

eyecatch source:Unknown author, Public domain, via Wikimedia Commons

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